「松坂には感謝の気持ちしかない」98年京都成章キャプテンは今、上原浩治を支える立場へ【夏の甲子園決勝の記憶】
98年夏の甲子園は、怪物・松坂大輔フィーバーだった。その決勝戦で対戦した当時、京都成章の1番でキャプテンを務めていたのが澤井芳信だ。松坂に対峙した男は、今でもあの夏は忘れられないという。
2016/08/21
勝敗を分けたもの
決勝のカードは横浜対京都成章。テレビに映るその文字を見るだけで、心が震えた。あの松坂と、あの横浜と自分たちが戦う。しかも夏の甲子園決勝という最高の舞台で。
一番打者として松坂と最初に対峙したのは澤井だ。思い切り振り抜いた打球はジャストミートでレフト方向へと飛んだが、サードの齊藤清憲の攻守に阻まれ1アウト。続く二番打者はフォアボールで出塁したが、三番打者がダブルプレーで三者凡退。スコアボードには0が刻まれた。
ヤバイ、と感じたのは5回だ。
横浜・松坂、京都成章・古岡、両投手の投げ合いで試合はテンポ良く進む。だが、京都成章のヒットは出ず、スコアボードのHは0のまま。
ノーヒットや、何とか打たなきゃ。焦る気持ちとは裏腹に、尻上がりに調子を上げる松坂をとらえきれない。ノーヒットノーランに気づいた観客も異様な盛り上がりを見せ、独特な空気が漂う中、0-3。わずか1時間46分で試合終了。決勝では史上2人目となる甲子園でのノーヒットノーランを松坂はやってのけ、京都成章は準優勝に終わった。
負けた悔しさ、しかもノーヒットノーランをされた悔しさはあったが、それ以上にここまで勝ち進むことができた、という達成感もあった。
それまでずっと我慢してきた「炭酸で乾杯しよう」と3年生全員でジュースを片手に、笑顔で語り合った。最後のミーティングで奥本監督から「よくやった。色々言ってきたが敵を欺くのはまずは味方から。俺はお前たちをずっと信じてやってきたんや」と言われた時は全員で泣いた。やりきったことで後悔は1つもなかった。
「うちのチームは、準優勝でも笑って終わることができた。でも、横浜はもし準優勝やったら、笑って終わることなんてできなかったと思うんです。甲子園で1勝を目指してきたチームと、全国優勝を目指してきたチーム。その違いが最後に出ました」
甲子園から2カ月後、10月の神奈川国体の決勝で、再び横浜と対戦。1-2で敗れはしたが、全員がフルスイングでジャストミートという気持ちで勝負した結果、16奪三振を喫したものの8安打。高校球児として戦った最後の一戦は、夏の決勝以上に晴れやかだった。