「松坂には感謝の気持ちしかない」98年京都成章キャプテンは今、上原浩治を支える立場へ【夏の甲子園決勝の記憶】
98年夏の甲子園は、怪物・松坂大輔フィーバーだった。その決勝戦で対戦した当時、京都成章の1番でキャプテンを務めていたのが澤井芳信だ。松坂に対峙した男は、今でもあの夏は忘れられないという。
2016/08/21
今はアスリートをサポートする立場に
あの夏から18年。今は、株式会社スポーツバックスの代表取締役として上原浩治をはじめとするアスリートのマネジメントやエージェント業務に携わる。
「名刺代わりですよね。『あのノーヒットノーランの時のキャプテンです』って。人によっては、甲子園の決勝まで行ってノーヒットノーランかよ、と思う人もいるかもしれないけれど、僕はそう思わないですよ。だって、甲子園に出て、決勝まで行けたわけですから」
京都成章から同志社大学へ進学し、卒業後は社会人野球のかずさマジックで06年までプロ野球選手を目指してプレーした。松坂がポスティング制度でレッドソックスと契約を結び、メジャーリーガーになったのは、奇しくも同じ年。
「すごい契約でアメリカへ渡ったヤツもいれば、全然知られず、ヒュッと引退したヤツもいる。彼は気づかないかもしれないけれど、たぶん○○世代って言われるようになったのは、松坂が初めてだと思うんですよ。いろんなところに『松坂世代』がいて、それぞれが頑張ればいいと思うし、その世代をつくったヤツには、ほんと、ありがたいな、という気持ちしかないです」
怪物、と称された男と、甲子園で戦ったあの夏はいつまでも色褪せることなく、輝き続ける。これまでの人生も、きっと、これからの人生も――。