「お金じゃない!」豪州プロ野球を支える日本人と、豪州からアメリカを目指す日本人
オーストラリアプロ野球リーグ(ABL)の国際渉外部長を務めるデニー丸山氏は、日本とオーストラリアの野球界をつなぐ架け橋となっている。そしてそんな丸山氏を頼りに、ABLからアメリカでのプレーを目指す日本人投手がいる。
2015/01/14
Satoshi Asa
太平洋野球をつなぐ架け橋、ABLとその仕掛け人デニー丸山
「ここではね。お金あるだけじゃダメなの。そういうのはこう言われるの。『ただの金持ちじゃん』って」
ゴールドコーストの日本食レストランでデニー丸山は、自らの活動の動機をこう語った。
野球において、大きな国際大会の度に日本とオーストラリア(以下豪州)のテストマッチが組まれていることをご存じだろうか。2007年の北京五輪最終予選、2009年、2013年のWBCを前にして、日本代表は豪州代表チームを招いて対戦している。
これらトッププロの試合だけではない。日本で競技継続の場をなくした若者の受け入れから、ドロップアウトした少年の野球を通じての更正まで日本と豪州の野球界の架け橋として日々奔走しているのが、この男である。
今年63歳になる彼は、立志伝中の人物だ。中学卒業後、料理人を志し、単身ヨーロッパに渡り、その後この地でレストランを開業、これを足掛かりに乗り出した観光業が成功を収め、一財産を築いた。
「俺は、そういうの嫌いなの」
この言葉通り、数年前に事業を他人に譲る際には、会長職などにもとどまらず、あっさりとリタイア、その後は野球を通じた社会貢献に心血を注いでいる。
「だから、名刺だけはいっぱいあるんだけどね」
彼は、現在豪州プロ野球リーグ(ABL)の国際渉外部長、自らが運営する「デニー丸山野球基金」の代表などを無報酬で務めている。
↑元メジャーリーガー、ルーク・ヒューズとフィールドで談笑する丸山、昨年メジャー球団との契約をとれなかったヒューズは、日本の独立リーグでのプレーを模索しているようだった。丸山のもとには、こういうプレー場所を失ったオーストラリア人も相談に来る。
ABLは、2010年冬に発足した新興プロ野球である。
豪州には、かつてもプロリーグ(旧ABL)が存在した。この旧リーグでは、当時豪州で事業を拡大、自ら運営するゴルフ場内に野球場を造り、中日ドラゴンズのキャンプを受け入れるなどした日系不動産会社をオーナーとする大京ドルフィンズがゴールドコーストに本拠を置いていたが、3シーズンで破綻してしまった。その後継球団、ゴールドコースト・クーガーズも経営危機に陥ると、市長の要請に応じ、丸山は私財を投じ、この球団を買い取った。