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「子どもは〝勝手に〟うまくなる」。発想の転換を促す指導が、自由なプレーを生み出す【元ドジャーススカウト、小島圭市の禅根夢標】

読売ジャイアンツなどでプレーし、その後ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトとして当時、黒田博樹投手や齋藤隆投手の入団に携わった小島圭市氏の連載。小島氏は現在、(株)K’sLabを立ち上げ、スポーツ環境の向上から青少年の育成に積極的に関わっています。今回のテーマは「発想力」です。

2015/01/16

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日本の子どもたちには、発想の転換が必要

 実は、中南米の選手たちが、日本人選手より長けているというのは、その部分にあるのです。
 
 ではなぜ、彼らがそうした発想を持ち、プレーができるのか?
 その答えは、子どもの頃からやっているからなのです。
 
 言い換えれば、日本人はやっていないからできないという答えになりますが、しかし、それは正解ではありません。「やっていない」のではなく、「こうやって捕りなさい」「ああやって足を運びなさい」という風に、指導者から教えられすぎてしまっているからなのです。
 
 中南米の選手には、個人個人で「俺はこうしたほうがいい」「俺には別の方法がある」とイメージすることができる。だから、次から次へ発想が生まれ、個性が育まれていくのです。
 
 全知全能を使って、神経を張り巡らせるように、70兆とも、80兆とも言われる細胞に刺激を与え、発達を促していく。
 それがジュニアのころからの指導で大事なのではないでしょうか。
 
 本当のスーパースターになるような選手は、指導者が何を言わなくても、自分たちで考えて何時間もかけて練習をします。言葉にすると少し乱暴に聞こえますが、指導者ができるのは「勝手にやってください」という環境を作ることなのです。
 
 ただ現状で言えば、日本の子どもたちには、そのような環境下にありませんから、今、すべきことは、発想を転換させてやる、概念を変えるということになるでしょうか。
 
 私が中学生の指導していたころ、内野を守っている選手たちに、ゴロが飛んできたときにどのように守ればいいかという問いに対して、「アウトにすればいい」と答えていました。
 
 どういうことかといいますと、野球の守備はアウトにする競技だというのを伝えたのです。「どのような形で捕って、アウトにしなければいけない」という子どもたちに植え付けられた概念から、「アウトにすれば、何をしてもいい」という発想の転換をしただけなのです。子どもたちは好きなように発想をして、アウトにすることを考えればいいのです。
 
 日本ではシートノックを横に大きく振ってダイビングをさせる練習をよく見かけますが、アメリカのシートノックはほとんど左右に振りません。でも、スーパープレーが出る。なぜ、なのでしょうか?
 
 発想力なのです。
 子どもの時に邪魔されなかったから、発想が豊かであるから、スーパープレーが生まれるのです。
 
 発想力を育てれば、「勝手に」打つようになりますし、「勝手に」守れるようになります。
「勝手に」気持ちが練習に向きます。
 
 つまり、選手は勝手に伸びていくのです。
 
「自分で考えましょう」
「アウトにしたいなら、どういうプレーをすればよいか、自分で考えてやりましょう」
「うまくなりたいなら、しっかりとトレーニングをしましょう」
 
 それをつかんでいった選手が上がっていくだけなのです。
 指導者が教えてうまくなっていくレベルというのは、本当はものすごく少ないのです。
 
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小島圭市 (2)
 
元ロサンゼルスドジャース 日本担当スカウト
小島圭市(こじま・けいいち)
 
1968年7月1日、神奈川県生まれ。東海大高輪台を卒業後の86年、ドラフト外で巨人に入団。 92年にプロ初勝利を挙げるなど、3勝をマークした。その後は故障に泣かされ、94年のオフに 巨人から戦力外通告。巨人在籍中の怪我の影響で1年浪人のあと、96年テキサスレンジャーズとマイナー契約。1年間、マイナーリーグで活躍した。翌年に日本球界に復帰し中日ドラゴンズでプレー。その後は、台湾の興農ブルズなどで活躍し、現役を引退した。01年日本担当スカウトに就任。石井一久、黒田博樹(ヤンキース)、斎藤隆(楽天)の獲得に尽力。三人が活躍したことから、スカウトとしての腕前を評価された。2013年にスカウトを退職。現在はジュニア育成のため、全国の小・中学生の指導者へ向けた講演会活動や少年野球教室を展開。2014年には会社「K’sLab」を設立。その活動を深く追求している。

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