「ナックル姫」と呼ばれ約10年…。“男社会”で挑み続ける吉田えりの現在地
「ナックル姫」の名前で一躍有名になった吉田えり投手。今でもその名のおかげで球場で声をかけられたり、メディアに出演するなど良い点もあったが、プレーよりもその名前が独り歩きしすぎて戸惑うこともあった。思うようにプレーできない日々が続いているが、現在も女子プロ野球ではなく独立リーグでプレーをし続けている。
2017/06/01
阿佐智
「ナックル姫」の名前だけ一人歩き
しばらく見ない間にその風貌はすっかり大人の女性のそれに変わっていた。
「ナックル姫」こと吉田えりは、25歳になる今も現役のプロ野球選手として、ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスのユニフォームを着ている。最近では三十路になっても「アイドル」を自称するタレントも珍しくはないが、彼女は「姫」と呼ばれることに、少々戸惑いを感じている。
「もう年齢がね」
と笑いながら答えるものの、自分の置かれている現状を考えると、いつまでも「姫」ではいけないという思いを持っていることは、言葉の端々から伝わってくる。
「その名前で覚えてもらっているので、ありがたいことはありがたいんですけどね。球場でも、子供たちが『あーっ、ナックル姫だ』って私のことを知っていてくれるので。その名前があったから、ここまで来れた部分もあるし、テレビにも出させていただけましたから」
2009年、日本第3の独立リーグとして誕生した関西独立リーグの目玉選手として颯爽とデビューした「ナックル姫」は、開幕戦の行われた京セラドームに1万を越える観衆を集めた。それまで野球を続ける場を探していた女子高生は、このときから「普通の女の子」ではなくなった。
シーズン開始後ひと月ほどで資金難に陥ったリーグにあって、吉田の存在は、本人の意識とは関係のないところでどんどん大きくなっていった。独立リーグとはいえ周囲は男ばかり、それまで経験したことのないレベルに戸惑う一方で、「ナックル姫」という名前だけが独り歩きしていった。
「正直、自分でも名前先行なのは感じました。でも、皆さんが思うほど、有名人ってわけじゃなかったですよ。声かけられるのは球場だけで、普段はなんてことなかったですから。ただ、悔しかったですね。名前だけが大きくなって、技術は追いついてませんでしたから」
吉田は今も「姫」という虚構と現実とのギャップを埋める旅を続けている。
騒動続きで、決して野球に集中できたわけではなかった関西リーグでは1シーズン以上プレーすることはなかった。翌年、彼女はアメリカ独立リーグに新天地を求めた。そして渡米2年目にはついに「プロ初勝利」を挙げる。その翌年、2012年シーズンには、先発ローテーションの一角を担うようになった。
そして、BCリーグに挑戦したのが、4年前。しかし、残念ながらここまで思うようなピッチングはできていない。
石川ミリオンスターズに入団して感じたことは、選手たちがプロとして野球にアプローチするやり方だった。
「石川には、元NPBの経験豊富な指導者や先輩がいました。そういう人たちはプレーそのものだけでなく、試合の流れや状況を読んだりという野球に対する考え方が、全く違っていました。そういうことは、それまで日本でもアメリカでも教わったことなかったですね」
野球選手としてワンステップ上の心構えが求められるようになったBCリーグという場では、選手層という厚い壁も立ちはだかった。なかなか訪れない登板機会に吉田はリズムを崩していく。
「米国で先発しているときには、悪かったら、それを反省点に修正して次の登板に生かせましたが、今はリリーフなのでそれも難しいですね。それに私の武器であるナックルは投げ込んで感触をつかむ球種なんで、登板機会が少ないとなかなか生かせない部分もあります。こっち来て、実際結果が残せなくて…、悔しいですね。米国でやってた頃と何が違うんだろうって…」