21世紀枠で出場する和歌山・桐蔭高 高校野球の原点を示す、リスペクト精神
21日に開幕する第87回選抜高校野球大会に21世紀枠で出場する和歌山・桐蔭高。夏の甲子園予選は第1回から参加する全国きっての超伝統校には、まさに高校野球の精神が宿る。
2015/03/20
氏原英明
高校野球の王道とは何か?
筆者が今から10年ほど前、河野さんがご存命だった頃に、取材をしたことがあった。その時の氏の言葉が強烈に印象に残っている。
「今の高校野球は勝ったか負けたかだけで人を評価しすぎるように思います。『甲子園に行きたい』と子どもたちが夢を見て、我々も追いかけるけれども、負けたら終わりなのか……と。10人しか部員がいなくても、ひたむきに頑張っているチームもある。ユニフォームをきっちり着るとか、帽子をちゃんとかぶる、そういう姿を見せるというのが高校野球の王道じゃないのかと。甲子園に行くことも大事だけれど、歴史を継承していく点においては、負けてでもひた向きに続けていくことに意味がある」
その続けていくことの一つとして、桐蔭高が当時から実践しているのが、相手をリスペクトする行為だ。
通常、守り側が3アウトチェンジになると、一目散に、ベンチに引き揚げていく。そんなシーンを高校野球では見かけるだろう。
しかし桐蔭高では、どんな場合であっても、ピッチャーだけはマウンドに残るのだ。野手からの返球を投手自身が受け取り、ボールをこねて、マウンドに置いていく。
次に登板する相手投手のために、心を配るということだろう。
入学してから実践するようになったという、現チームのエース・伊澤は言う。
「スポーツは自分だけがいい想いをするものではないと思います。相手があって成り立つもの。対戦相手への敬意を込めて、僕はボールをマウンドに置いています」
彼らが素晴らしいのは、これを公式戦のみならず、練習試合でも続けていることである。
21世紀枠での出場で、知らない人からすれば、意図した行為にも受け取られるかもしれないが、彼らは勝ち負けにこだわらず、ずっと続けてきていることなのだ。
事実、10年ほど前、河野元監督の体制下でもその行為をしていたのだ。「勝ち負けだけではない」中に、その行為があるのだと、河野さんは力説していたのだった。
伊藤監督は言う。
「甲子園が決まったからやり始めたことではないので、この伝統は誇れることだと思うし、相手への敬意やボールへの執念と言った意味において、桐蔭高の伝統を甲子園でも伝えたいですね。野球が上手・下手は関係なくできることですから」
桐蔭高は昨秋、県大会の1回戦で敗退(ベスト8に相当)。近畿大会には進んでいない。その力が証明されたわけではないから、お世辞にも強いチームとは言えないかもしれない。
しかし、夏の選手権がまもなくで100年を迎える今、桐蔭高のような、相手をリスペクトする行為を続けているチームが甲子園に出場することの意義はあると思う。
勝ち負けだけではない、大切な何か。
桐蔭高ナインの背中が教えてくれるに違いない。
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