近鉄球団消滅から10年。独立リーグで指導するOBが受け継ぐ猛牛魂
近鉄バファローズの名が球界から消えて今年で10年の歳月が流れた。5月1日~3日、福岡ソフトバンクホークス対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム)にて、近鉄バファローズと南海ホークスのユニフォームが復刻されるOSAKA CLASSIC 2015が開催される。 球団OBである村上隆行、石毛博史は現在、BFLに属する06BULLS(東大阪市)にて後世の育成に励む。そんな両氏に現役時代、近鉄バファローズへの想い、独立リーグの現状、育成論について話を聞いた。
2015/05/01
写真提供・コピーライト 東大阪バーチャルシティ
豪快と脆さが、近鉄バファローズ
現在、06BULLS(東大阪市)の監督を務める村上隆行氏は、84年~99年まで近鉄に在籍し、長らくチームの中心選手として活躍した。
――はじめに村上さんの現状から教えてもらえますか。
村上隆行(以下・村上):「野球塾『Slugger’s studio』で小・中学生の指導をしながら、評論家としてオリックス・バファローズ戦のテレビ解説、BFLの06BULLSで監督兼副理事を務めています」
――指導者としての目線で、具体的にどういった選手を育てたいですか。
村上:「NPBに選手を輩出するというのは前提ですが、即戦力の選手を育てたいですね。そのためには技術だけでダメ。人間として大きくならないと、選手としては成長しません。球団としても挨拶、考える力、自主性といった人間力を重要視しています。人に気遣いできない人間が自分の技術に気づくはずもないので。私の指導方針としては、どんな場面でも失敗を恐れずにチャレンジするよう選手に促しています。積極的な失敗は必ず次に繋がるので、どんどん褒めていますね」
――選手達のメンタル面についてはどう感じられていますか。
村上:「まだまだ諦めるのが早い。元々独立リーグでプレーしている選手達は、しっかりとした指導を受けていなかった選手が多いんです。そういった選手達が野球エリートとの競争に勝ち、NPB入りするのは並大抵の努力では厳しい。独立リーグはあくまで可能性を広げる舞台であり、存在がなければ消えていた選手達はたくさんいる。ただ、最終的には個人の意識づけがすべてです。自分を信じて諦めないこと。思考力を鍛えること。大きな目標を持った中で、どれだけ本気になって準備して、取り組むことができるか。こういった要素を徹底できたのが、角中や又吉といったプロでも結果を残せる選手だと思いますね」
――話を現役時代に移します。自身の成績を振り返ってみていかがですか。
村上:「自分の成績には悔いが残っていますね。というのも、試合出場数、ヒット数、ホームランなど目標にいずれも及びませんでした。プロの世界の様々な情報を得た今だからこそ、自分はもっとできたと強く思います」
――近鉄バファローズの野球はどんな野球でしたか。
村上:「いてまえ打線、という呼び名の通りグラウンドの中ではセオリー無視の野球でしたね。ファンからみても”何かやってくれるぞ“という期待感があるチームだったと思います。一方では急に崩れたりするような脆さもある。振り返ってみると小さいことにこだわらない、豪快という言葉が当てはまるチームカラーでした」
――球団消滅の際はどんな想いでしたか。
村上:「自分が青春をかけた球団だけに、帰る場所がなくなってしまった、という親を亡くしたような喪失感を覚えました。消滅の日、朝日放送で近鉄バファローズのラジオ番組で解説をしていましたが、放送中も本当にバファローズがなくなってしまうのか、と呆然としたことを今でも覚えています。私個人としてはそのまま身売りして欲しかった。ライオンズのような形でも、球団が残ればと何度も何度も思いました。球団がなくなるということは、OB含め携わったすべての人達が宙ぶらりんになるので」
いつかは近鉄で監督をやってみたかった
――球団OBとして今感じていることは。
村上:「最近生まれた子ども達を指導していると、オリックス・バファローズは知っていても、近鉄バファローズは知らない、という子が増えています。こういった声を聞くと、OBとして寂しい気持ちになります。歴史があり、実績を残した選手も多い球団なのに、そういったOB達の職がなくなるのも悲しいことですね。自分もコーチ入閣の話もあっただけに、いずれは近鉄バファローズで監督ができれば、と考えていたので」
――最も影響を受けた指導者を教えてください。
村上:「仰木さんですね。各々が活きる場面、性格も含めて本当に選手の個々をよく見られていました。データ野球は野村さん、と言われますが私の中では仰木さんです。相手チームから自分のチームまで、様々なデータを細かく検証されていました。かといって、試合を見ているようで見ていないこともあり、時々ポカもある。掴みどころがなく、豪快かつダンディな魅力的な方でした」
――具体的にどういったところに影響を受けましたか。
村上:「マイナス思考がなく、プラス思考しかなかったところです。普通は試合に負けると外出禁止にする監督が多いんですが、仰木さんは『ホテルから出て、外で飲んでこい』と言われていました。連敗中はいろいろ考えてしまうものですが、それなら二日酔いで試合に出たほうが良い結果が出るという究極のプラス思考です。実際に、それで打線が爆発するところが仰木さんの凄さでした」
――最後に村上さんの今後の目標を教えてください。
「私は現役時代、岡本さん、仰木さん、鈴木さん、佐々木さん、梨田さん、西武で東尾さんといった監督の下でプレーしました。当然ですが1人1人に個性があり、考え方に違いがありました。こういった方々の良いところは継承し、選手時代に嫌だったことは自分なりに変えていく。指導者として腕を磨き、自分の成績を超えるような選手をどんどんプロに送り込みたいです」