近鉄球団消滅から10年。独立リーグで指導するOBが受け継ぐ猛牛魂
近鉄バファローズの名が球界から消えて今年で10年の歳月が流れた。5月1日~3日、福岡ソフトバンクホークス対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム)にて、近鉄バファローズと南海ホークスのユニフォームが復刻されるOSAKA CLASSIC 2015が開催される。 球団OBである村上隆行、石毛博史は現在、BFLに属する06BULLS(東大阪市)にて後世の育成に励む。そんな両氏に現役時代、近鉄バファローズへの想い、独立リーグの現状、育成論について話を聞いた。
2015/05/01
写真提供・コピーライト 東大阪バーチャルシティ
今の子はプロ野球を見ない
村上監督の元で、投手コーチを務めるのが石毛博史だ。長嶋茂雄監督が93年にジャイアンツに復帰した際、石毛がストッパーを務めていた。その後、97年に近鉄へ。先発、中継ぎ、抑えと様々なポジションで活躍した。
――石毛さんは現在06BULLSで専属ピッチングコーチをされています。
石毛博史(以下・石毛):「村上さんから『一緒にプロを目指す選手を育てていこう』と声を掛けていただいたのがキッカケです。私自身も、ゆくゆくはNPBでコーチをやりたいと考えていたので育成に本格的に関わる仕事に魅力を感じました」
――どういった部分にやりがいと難しさを感じていますか。
石毛:「BFLのピッチャーはしっかりと指導を受けずに、我流でやってきた選手が多い。その分キッカケさえ掴んで、野球にのめり込む環境があれば化ける可能性があると言えます。将来性があり、伸びシロが大きい選手を指導することはやりがいに感じますね。難しさについては、野球を諦めないといけないと勧告するのも私の仕事ということです。選手が胸を張って次の人生を迎えられるために、人間的な部分や物の考え方も意識して伝えるようにしています」
――昨年度はドラフト候補にあがったピッチャーも在籍していました。
石毛:「去年は全体的に不作のドラフトと言われていましたが、それでも指名されなかったというのが現状です。理由を分析しましたが、投げることに一生懸命で守備や牽制といった部分までカバーできなかったのが大きかったかと思います。あとは人間的な熟成ですね。野球の実力があっても社会人として、人間としての力がないとプロは指名しないので」
――若い世代を指導して感じる傾向はありますか。
石毛:「今の子はあまりプロ野球を見ないですが、もっと見てほしい。それは自分の目標を持つ意味でも、プロの試合は必ず指標となるからです。自分と同じポジションの選手と自分を比較し、『この選手が10本走るなら、自分は20本、30本走る』というような、より明確な目標をしっかりと立てて野球に取り組むべきですね」
近鉄は、結果が最重要視されるチームだった
――さて、話を現役時代へ戻します。ベストピッチングを教えてください。
石毛:「巨人時代、1993年にナゴヤ球場で、与田さんと7回途中から投げ合った試合です。現在はクローザーという呼び名が定着していますが、当時はストッパーという呼び方が一般的でした。私は今でもストッパーという名前が正しいと思っています。クローザーは、試合を締める役割。ストッパーは相手の勢いを止めるのが役割です。この試合では、同点のまま5イニングずつ投げ合い無失点で抑え、味方の逆転に繋がりました。今振り返ると自分の中で、ストッパーの仕事をしっかりとこなせたベストピッチでした」
――近鉄バファローズ時代に印象に残っているコーチは。
石毛:「小林繁さんですね。同じ巨人からの移籍組ということで、よく話をさせてもらいました。パワーピッチャータイプだった自分は、小林さんからピッチングのイロハを教わりました。ストレートがアウトコースに何%の確率で投げ込めるか、それが変化球なら、キャッチャーが見る石毛と、コーチが見る石毛を照らし合わせるという自分を見直す作業からスタートしました。また、バファローズ時代は先発も経験したこともあり、立ち上がり、打者一巡といった投球の組み立て方まで指導を受けました」
――石毛さんは巨人からの移籍組ですが、チームカラーに差はありましたか。
石毛:「バファローズは結果が最重要視される、良い意味でのプロの集団という印象を持ちました。巨人時代は普段の生活から見られていて、『常に紳士たれ』という指導を受けていたのでカルチャーショックを受けましたね。バファローズは有言実行のチームカラーで、自分の仕事をやっていれば本当に誰も口を出さなかった。チームの雰囲気も自由でしたが、それは上が選手を大人として見てくれていたから。管理野球とは無縁で、また不要なチームだったと思います」
――今年で球団消滅から12年が経過しました。
石毛:「自分が在籍した球団がないというのは寂しいものです。17年間プロで過ごした中でも、バファローズでの6年間が野球自体1番楽しかった。それは、力と力の勝負ができたパリーグの野球、チームメイト達が肌に合っていたからです。千葉出身の私が、今でも関西にいるのは、近鉄バファローズという球団の存在が大きい。現在のNPBでもバファローズ出身選手が多く活躍していることからも、本当に良いチームだったということがわかると思います。正直、もし球団が消滅していなければ自分もコーチとしてバファローズのユニフォームを着ていたのではないかと、考えることもあります」
――OSAKA CLASSIC 2015では近鉄バファローズのユニフォームが復刻されます。
石毛:「こういった試み自体は昔のファンにも喜んでいただける良い企画だと思います。僕は大阪ドーム元年に移籍してきたので、猛牛のユニフォームは知らないんですが。ただ、外から見るとバファローズのユニフォームは使っているけれど、近鉄ではない違うチームなので多少複雑な想いもありますね」
――最後に石毛さんの今後の目標を教えてください。
石毛:「ゆくゆくはNPBでコーチができれば、と考えています。それも1軍の投手コーチではなく、2軍のコーチとして1軍で長く活躍できる選手を育てていきたい。育成は奥が深く、大きなやりがいを感じているので。将来を見越しても、まずは06BULLSでNPB選手を輩出したいですね」
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