日曜劇場『下剋上球児』原案 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル#2 絶望的な異動
2023/10/10
菊地高弘
野洲を建て直した奥村のアドバイス
野洲のグラウンドは、傍らを走る東海道新幹線の車窓から数秒間だけ見ることができる。内野エリアに敷き詰められた黒土は、阪神甲子園球場で使っている土と同じ種類。多くの中学生はグラウンドを見ただけで目を輝かせ、「ここで甲子園を目指したい!」と決意を固める。そんな評判のグラウンドだった。
一塁側に設えられた2階建ての小さなプレハブ小屋の2階が監督室になっている。そこで東は、奥村からある写真を見せられた。
「これが、野洲に来て1年目の写真や」
壁にかけられた写真には、10人の部員が並んでいた。お世辞にも強豪と呼べるような雰囲気はない。いかにも弱小の公立高校というオーラが漂っていた。
白山もこんな感じなのだろう……。そうため息を吐く東を尻目に、奥村は「それで、今はこれや」と別の写真を指差した。
横に長く引き伸ばされた変形サイズの額縁に収められた写真には、ユニホームを着た80人を超える野球部員が整然と並んでいた。
言葉を失う東に、奥村はうれしそうな笑みを浮かべた。2006年4月に奥村が赴任した当時の野球部員は5名。全国制覇を成し遂げたサッカー部とは対照的に弱小チームだった野球部を奥村は立て直し、2009年秋と2012年の夏に滋賀大会で準優勝まで導いていた。奥村は東に写真を見せながら、どのような過程で野洲が変わっていったかを語り始めた。
驚くことに、野洲の見事なグラウンドはほぼ手づくりだという。奥村や当時の野球部長である小川健太(現八幡商業部長)、コーチの橋元宏太、そして保護者の力も総動員して少しずつ環境を整えていったのだ。
奥村のアドバイスはグラウンドの作り方に始まり、中学生の勧誘方法、自己肯定感の低い生徒の接し方といった内容から、トラブルの対処法や始末書の書き方まで多岐にわたった。東はただノウハウを伝授されただけでなく、「野洲のような前例がある」という事実に心強さを覚えた。
そして2013年4月、東は白山へと赴任する。
(第3回につづく)
書籍情報
『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』
定価:本体1500円+税
10年連続、県大会初戦敗退の弱小校 かつて県内で一番対戦したくない 〝荒れた高校”がまさかの甲子園!?
「一生覚えとけよ。こんだけの人が、お前らを応援してくれてんだぞ」
2018年夏の甲子園に初出場した三重県立白山高校。 白山高校は、いわゆる野球エリート校とは対照的なチーム。 10年連続県大会初戦敗退の弱小校。「リアル・ルーキーズ」のキャッチフレーズ……。
そんな白山高校がなぜ甲子園に出場できたのか。 そこには、いくつものミラクルと信じられない物語が存在した。
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『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』
【著者紹介】
菊地高弘
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、ライターとして独立。 『中学野球太郎』誌上では打者として有望中学生投手と真剣勝負する「菊地選手のホームランプロジェクト」を連載中。 著書に『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)、『野球部あるある』シリーズ(「菊地選手」名義/集英社)がある。 Twitterアカウント:@kikuchiplayer