星稜・奥川恭伸の投球に思う甲子園のあり方。両エース不調の決勝戦、求められる“球児のための”環境作り【全国高校野球】
第101回全国高校野球選手権大会が22日、大阪・履正社の優勝で幕を閉じた。敗れた星稜のエース奥川恭伸は5失点と精彩を欠いた。奥川の“らしくない”投球から、甲子園決勝戦という舞台のあるべき姿が問われる。
2019/08/23
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現状は個々の耐性に委ねている
個人的な意見を言わせてもらうと、高校球児の体は何球まで投げれば危険であるか否かの答えは存在しないのではないかと思う。おそらく、アメリカなどでは、そうであるから、一定の線をひいて、その一歩手前に制限をかけている。ところが、日本は、「危険水域」は人によって違うというのをいいことに、個々の耐性に委ねてしまっている。これは危険なことではないのか。
98年の甲子園決勝戦でノーヒットノーランを達成した松坂大輔や昨年の吉田輝星のようにとんでもない日程を乗り越えるケースはあるが、そこにエビデンスはない。彼らに耐久性の才能があったとしか言いようがなく、それをすべての投手に当てはめること自体が間違いなのではないか。
101回目になって初めて決勝戦前日に休養日が設けられた。だが、それがあっても、大会随一の才能がベストパフォーマンスを出せなかったというこの事実からは目を背けてはならない。
奥川は自分の疲労を言い訳にしなかった。最後まで相手打線を称えることに終始した姿勢は素晴らしかった。それだけに、彼をなんとか決勝戦という最高の舞台で輝かせる環境を用意してあげることはできなかったのかと思う。
その環境を作り出すことが大人の役目であるから。
氏原英明