元キャプテンが明かす、大阪桐蔭カラー なぜ大阪桐蔭はNPBにスターを送り込めるのか
中村剛也、岩田稔、西岡剛、平田良介、中田翔、浅村栄斗、藤浪晋太郎、森友哉。現在のNPBでは大阪桐蔭出身の選手達がキラ星のごとく活躍を見せ、球界を席巻している。特に2005年以降は、甲子園でも安定した成績を残し、プロ野球選手養成の“超名門”としての地位を確固たるものにした。今回は「偉大な選手達や、先輩方もいるのに私で恐縮ですが」という前置きの上で質疑に答えてくれた、元キャプテン小山貴弘氏へのインタビューから見えた、大阪桐蔭の強さに源泉に迫る。
2015/07/19
栗田シメイ
大阪桐蔭は泥臭い野球をするチーム
――まず小山さんの経歴から教えて下さい。
小山貴弘(以下:小山)「シニアリーグの豊中シニアから、大阪桐蔭に進学。大学は関西大学の野球部で副キャプテンとしてプレーしました。元オリックス・バファローズのマル(丸毛選手)とは、中学から同じチームでした。大阪桐蔭では、僕の1つ下には中田翔選手や、西武の捕手岡田選手。2つ下には浅村選手。2学年上には、平田さんや、辻内さんが在籍していた世代ですね」
――そんな中で大阪桐蔭ではキャプテンを務められたわけですね。
小山:「僕達の年代は、周りから強くないと言われていました。実際に、試合に出ていたメンバーも1つ下の学年の選手が中心で、マルも高校時代はあまり試合には出場できませんでした。西谷監督からは、『俺が知ってる限り、大阪桐蔭の歴代キャプテンで試合に出てない選手はお前だけだ』とよくハッパをかけられました。当時は、夏の甲子園に連続出場したことがなかったので、何としても歴史に名を刻もうと必死でした」
――失礼ながら当時は、今ほど”超名門高”という印象はなかったと思います。実際はいかがでしたか?
小山:「ちょうどシニアやボーイズから全国レベルの選手を獲得していて、これから強くなるタイミングでした。ただ、高校に入ってから伸びた選手が圧倒的に多かったのかと」
――キャプテンだった当時を振り返って、大阪桐蔭はどんなチームカラーでしたか?
小山:「よく大阪桐蔭は“打撃のチーム”“華やかなチーム”という印象を持たれる方が多いんですが、実際は決してエリート集団ではない、泥臭い野球をするチーム。凡フライでも、必ず2塁までは全力疾走という姿勢は徹底されていました。“守備からリズムを作って、バッテイングに良い循環を”というチーム方針もあり、当然基礎を重視しますし、体力づくりを目的とした生駒山での走り込みや、守備練習に時間を割くことが多かったですね。特にキャッチボールへのこだわりは強かったです」
――西谷監督からは日頃どんな声をかけられていましたか?
小山:「野球だけでなく、野球以外でも社会に出てからが勝負、とよく言われました。礼儀作法であったり、挨拶であったりそういった“人”としてどうなのか、ということに関しては厳しい監督でした。進学校なので、学校の成績にも力をいれるように言われましたね。同級生も消防士であったり、一般企業で働いたりと様々ですが、社会人としてしっかり頑張れているのは、西谷監督の影響が大きいと思います」
――NPBに進んだ選手達の高校時代の印象を教えてください。
小山:「マルに関しては、足、守備、バッテイングと3拍子揃ったスケールの大きい選手でした。岡田選手は、肩の強さに加え足もある、強打の捕手でした。浅村選手は数カ月しか見ていないのですが、守備のセンスは新入生でも群を抜いていましたね」
――中田選手、平田選手はいかがでしょうか?
小山:「中田選手は、体つきも含めて入学当初から雰囲気が他の選手とはまるで違いましたね。特にピッチャーとしてのレベルが驚くほど高かった。マウンドでのたたずまい、冷静なフィールディング、球際の強さ、変化球の鋭さなど、総合的に見ても中田レベルの投手は他の高校を見渡してもほとんどいなかったと思います。平田さんは、とにかく走塁や守備に対する意識が高い方でした。次の塁を貪欲に狙う姿勢は、僕が大阪桐蔭で見た中では誰よりも優れていました。一度ホームスチールを決められたことがあるんですが、そのプレーは今でも印象に残っています」