【野球コラム】早実・清宮幸太郎 100年の歴史を背負いながら挑む初めての甲子園
夏の甲子園大会、西東京大会は早稲田実が東海大菅生に逆転勝ちし、29回目の出場を決めた。100年前の第1回大会の出場校の早実。歴史は受け継がれている。
2015/07/31
レジェンド校の宿命を背負い挑む甲子園
自身は6試合で20打数10安打10打点。なかったのはホームランだけ。
「それは甲子園に取っておいた、というのもおかしいですが、打ちたい」と堂々と宣言した。
和泉監督は、「清宮が入ってチームが変わりましたよ。彼に引っ張られている」と言う。菅生の8点には、その変化が加えられていた。「あそこはチームでまとまって一つになった気がする。いいイニングだった」と和泉監督。
春までは打線は加藤キャプテンだけに頼りがち。投手陣に至っては「誰がゲームを作るのかイメージがわかなかった」と和泉監督が言うほど、不安が改善されないまま、開幕を迎えていた。そこに清宮が加わって化学反応が生まれた。
100年、復刻ユニフォーム、王さん始球式、清宮フィーバーなど、周りの注目は増幅されるばかり。
「期待はわかりますが、今までで一番辛い年だった」と和泉監督は優勝インタビューで目頭を熱くした。
遡ること6カ月前の1月の上旬、和泉監督が「今年は甲子園に行きます」と野球部OB総会で挨拶していた。その場には王貞治氏、評論家の荒木大輔氏、日本ハムの斎藤佑樹投手らプロ、アマのそうそうたる野球関係者が来場していた。立場上、そういわざるを得ないのが監督ではあるが、確信などもちろん、あるわけではなかっただろう。それが半年後、現実のものとなった。
「この子たちを、100年前の先輩たちに大舞台で見せたい」
早実の100年目のレジェンドは生まれるのだろうか。