【高校野球】1年生で大会2本塁打の清宮幸太郎 過去の甲子園で活躍した1年生ヒーローとその後
高校野球100周年で迎えた第97回全国高等学校野球選手権大会は、準決勝まで勝ち抜いた4校を残すところまできている。そしてその4校に残り、地方大会から注目を浴び続けている早稲田実業の清宮幸太郎の存在感は試合ごとに増すばかりだ。
2015/08/19
1年生で堂々のヒーロー
早稲田実業の清宮幸太郎は、ここまで甲子園で4試合16打数8安打8打点2本塁打、打率5割の猛打をふるっている。1年生として出場した夏の甲子園で2本塁打を記録したのは、戦後はPL学園の桑田真澄と清宮だけ。しかもこれだけのスラッガーなのに、わずか1三振。5カ月前まで中学生だったとは信じられない。
過去にも1年生で甲子園で大活躍した球児はいたが、清宮のようなケースは珍しい。
1年生ヒーローの多くは、先輩が故障したり不振に陥って代役として起用され、大活躍したパターンだ。入学当初から主力選手として起用され、結果を出した1年生は、清宮以前は清原和博、中田翔くらいしか見当たらない。
しかも、清宮は中学生のころから注目されていた。リトルリーグの世界選手権で優勝してメディアが追いかけるようになった。父親が有名アスリートだったこともあるが、異例である。
清宮は春夏の甲子園に今回も含め、5回出場する可能性がある。気の早い話だが、清原和博が持つ高校通算本塁打記録13の更新も夢ではない。
そして、その先にはプロ野球という大舞台も見えてくる。こうまとめると、偶然だが高校1年で活躍した選手は後年巨人入りしているケースが多い。果たして、清宮はどうなるだろうか。
<過去、高校1年生で甲子園で活躍した主な選手>
佐々木信也 1949年 湘南 父が監督、兄が助監督を務める湘南で7番左翼で甲子園に出場。17打数6安打の活躍で岐阜高を破り優勝。準決勝の高松一戦ではサヨナラ安打を打つ。のち高橋ユニオンズを経て名解説者に。
王貞治 1956年 早稲田実 控え投手兼左翼手 予選でノーヒットノーランを記録し注目される。甲子園では岐阜商戦に登板 7回2/3を投げ6失点で負け投手ながらアイドル的な人気を博する。
新浦寿夫 1968年 静岡商 定時制から普通科に転入したので実質的には2年生 6試合、53回を投げ抜き興国高に敗れ準優勝。この年の12月に高校を中退し争奪戦の末に巨人に入団。
原辰徳 1974年 東海大相模 父が監督を務める東海大相模で中軸を打つ。3試合で17打数7安打5打点の活躍。チームは準々決勝で敗退するが“若大将”のニックネームが付く。東海大学を経て、巨人に入団。現在は巨人の監督を務める。
坂本佳一 1977年 東邦 名古屋電気(現:愛工大名電)のセレクションに落ちて一般入試で東邦に入学。予選は背番号10でベンチ入りし、県大会決勝で自分を落とした名古屋電気を破る。甲子園はエースナンバーで5試合を投げ抜き決勝で東洋大姫路に敗退。“バンビ”の愛称でアイドル的な人気となるが、以後は甲子園に出場できず。プロ入りもしなかった。
荒木大輔 1980年 早稲田実 予選直前、先輩投手が故障したためにエースとなる。44イニング無失点の快投を見せるが決勝で愛甲猛の横浜に敗退。全国的な「大ちゃんブーム」を呼ぶ。その後、ヤクルトスワローズへ入団。故障に悩まされたプロ野球人生だった。
桑田真澄 1983年 PL学園 入学したときは目立たなかったが急速に成長し背番号10ながら全試合に登板、5試合で4勝を挙げる。決勝で横浜商に勝ち、1年生で優勝投手に。打っても20打数7安打8打点2本塁打。その後、巨人へ入団。エースとして活躍した。
清原和博 1983年 PL学園 1年から4番一塁に定着。5試合で18打数7安打5打点1本塁打。同じ1年生の桑田真澄と「KKコンビ」を組む。その後は、西武へ入団。主砲として黄金期を支えた。FAで憧れの巨人へ移籍、最後はオリックスで現役生活を終えた。
仁志敏久 1987年 常総学院 1年生の3番打者として22打数8安打3打点。決勝でPL学園に敗退。大型遊撃手として注目を集める。その後、早大、日本生命を経て巨人に入団。1番として走攻守にわたり活躍した。
中田翔 2005年 大阪桐蔭 5番一塁で出場。20打数8安打5打点1本塁打。「平成の怪物」と呼ばれる。その後、日本ハムへ入団。現在はチームの4番、侍ジャパンの4番として球界屈指のホームランバッターの1人に成長した。