大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



Home » 侍ジャパン » 【東京五輪】「鷹の目」「100満点」。侍ジャパン金獲得の裏で活躍していた唯一の“台湾代表”とは【東京オリンピック】

【東京五輪】「鷹の目」「100満点」。侍ジャパン金獲得の裏で活躍していた唯一の“台湾代表”とは【東京オリンピック】

2021/08/09

text By

photo

Getty Images



 東京五輪(東京オリンピック)の野球競技で、日本代表「侍ジャパン」は決勝戦でアメリカを2-0で降し金メダルを獲得。1992年に正式競技となって初の快挙は日本の野球ファンを沸かせた一方、同時に台湾の野球ファンもこの決勝戦を味わっていた。台湾プロ野球(CPBL)で審判を務める紀華文氏が、この試合で球審を担当していたのだ。
 

 
 台湾出身の球審として初めて決勝戦を担当した紀華文氏。それだけに大きな重圧があったことは想像に難くない。だが、紀氏は、培った経験を生かし、あらゆる場面で冷静に判断を下した。

 特に注目が集まったのは8回裏、日本の攻撃で貴重な追加点を挙げたシーンだ。山田哲人の本塁突入が微妙なタイミングとなり、紀氏はセーフの判定。アメリカ代表がVARを要求するも、映像で見ても結果は変わらず、日本の得点が成立した。この判定に、台湾の野球ファンも「来た!紀氏の鷹の目!」とBBSを通じて盛り上がり、多くのファンが「100満点」と紀氏を称賛した。
 
 また、紀氏は決勝戦だけではなく、開幕の日本対ドミニカ共和国戦の球審も担当していた。だがこの時点では、紀氏が球審を務めることを不安視する台湾野球ファンもいた。その原因は、紀氏がCPBLの試合でストライクゾーンの範囲が少しずれている場合があったためだ。また、現在CPBLのストライクゾーンはやや狭く、五輪での審判に適応できるかどうかというところも不安の一因であったようだ。日本対ドミニカ戦では5回くらいまで、少しCPBLのストライクゾーンが残っていたが、その後の判決では、五輪の国際レベルの水準を保っていた。
 
 紀氏は1969年生まれの52歳、CPBLで副審判長を務める。1997年で当時のTML(現在CPBLと合併)の外審から、22年の審判員生活を送っている。国際試合でも2015年と19年のプレミア12、17年のWBC予選などで審判を歴任し、2015年の第1回WBSCプレミア12では「ベスト審判員」でも選ばられた。
 
 五輪の野球審判に採用された際には、台湾のメディアに「ものすごく嬉しくて光栄です」と喜びを語り、「CPBLの試合でも国際の試合でもいつものようなプロ精神をもって試合に臨みたい」と意気込んでいた。日本でコロナ感染が広がっても、「日本側の感染防止対策も徹底する。まったく心配していない」と、最後まで仕事を尽くした。
 
 台湾が五輪野球競技に出場できなくても、唯一の「台湾代表」として役割を果たした紀氏。彼の審判をみて、台湾の野球ファンは五輪野球を楽しみ、出場できなかった憂いを晴らしたのではないだろうか。
 
 
鄭仲嵐



error: Content is protected !!