【MLB】「メッツは第2の家族」生え抜き12年目で初出場。主将ライトのワールドシリーズへの想い
メッツ生え抜きのライトが12年目にして初のワールドシリーズの舞台を踏んだ。今季は長期欠場もあっただけに、その感動は増幅している。
2015/10/29
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「ここまでの道のりを想像できるかい」
「ちょっと哲学的な話だが、リトルリーグ時代から始まって、各地を回って試合をして、そしてドラフトで指名された。マイナーで研鑽を積み昇格すると、比較的早くプレーオフ出場の機会が得られたんだ。だけど、ここ9年間はそれ以前に想像していたようなものではなかったんだよ。そして、ようやくワールドシリーズに辿り着いたんだ」(ライト)
ライトは球団史上に残る生え抜きのスターだ。
バージニア州のヒッコリー高校に在籍していた2001年のドラフトでは全体でも38番目という高い評価を得てメッツと契約した。
生え抜きのスターとなった彼は、自身のチームへの強い愛着もあり、30歳の誕生日寸前の2012年のオフに、事実上の生涯契約ともいえるオプションも含めると8年に及ぶ契約を結んだ。しかし、晴れ舞台までの道のりは長かった。
It took Wright 1,546 games to make it to the World Series. According to the Elias Sports Bureau, that’s the most games played by one player with a single franchise before reaching the World Series since first baseman Todd Helton played in 1,578 games for the Rockies.
彼はワールドシリーズに出場するまでに、1546試合の公式戦出場に出場している。(記録専門会社の)エリアス・スポーツ・ビュローによると、単一球団のみの在籍でワールドシリーズ出場までに要した試合数としては、2007年にトッド・ヘルトン一塁手のロッキースで1578試合を経て出場して以降では最多だ。
ライト自身は、他球団に移籍した上でワールドシリーズの機会を得たとしたら、これほどまでの感動があったかどうかはわからないとしている。
「シカゴでカブスを破りニューヨークに戻ると、夜なのに駐車場に多くのファンが待っていてくれた。ぼくたちを祝福するためにね」とライトはファンへの感謝を語る。「子どものころからあこがれていた球団で、18歳でドラフト指名してくれた球団だからね。ぼくにとって、メッツは第二の家族なんだ」
復帰後のライトは毎日早く球場入りし、トレーニングに精を出した。
幸いにして、その後出場を見合わせなければならないような痛みの再発はなかった。彼の故障や他の困難との戦いも、すべてはこの舞台のためだった。
Wrighr’s long journey leads to first Fall Classic @ MLB.com by Barry M. Bloom in Oct.25th 2015