第7戦まで戦い抜いた青木宣親選手に大きな拍手を【小島克典の「通訳はみだし日記」】
横浜ベイスターズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ニューヨーク・メッツの3球団で通訳として活躍した小島克典氏による書き下ろし連載「通訳はみ出し日記」。連載5回目は、ワールドシリーズ第7戦で惜しくも敗れた青木宣親選手についてだ。
2014/11/03
Getty Images
勝者だけでなく、敗者にも光を。青木選手の活躍を讃えたい
2014年――第7戦が行われた日、僕は所用でシンガポールにいた。
野球がほとんど知られていないシンガポールでワールドシリーズの情報を入手するのは困難だ。
そこそこ高級なホテルの部屋にこもってケーブルTVで見るか、朝っぱらからセントーサ島(国内随一のリゾート地区)にあるハードロックカフェに行くしかない。というか僕はそうした。
青木選手のロイヤルズと古巣ジャイアンツの一戦は、僕らの時と同じように第7戦までもつれ、手に汗握る接戦の末にジャイアンツが優勝した(のは皆さんご承知の通りだ)。
ワールドシリーズ第7戦。それはいつもと違う、特別な空気が漂う一日だ。
例えるなら学校の終業式とか卒業式と少し似ている感じ。このメンバーで野球をする最後の日。
選手はもちろん、監督もコーチも裏方も、言葉には出さないけど雰囲気で分かち合える特別な空気に包まれる日。だから勝っても負けても、最後は涙が溢れる感傷的な空間となる。
02年、ワールドシリーズ第7戦に敗れた直後、僕はロッカーで泣いた。すると新庄さんが「コジ、泣くな。男が泣くのは親が死んだ時だけだ」と声をかけてくれた。
その言葉を聞いて、また泣いた。で、泣いたあとに思った。
この負けた経験は、自分の言葉でちゃんと後世に語りつごうと。そうでなければダスティが言っていたように、この敗戦が忘れらてしまうから。
だから僕は本を書いたり、時々こうして昔話をしては、ワールドシリーズ第7戦で敗れた記憶をよみがえらせる。
新庄さんが最初に歴史を刻んだワールドシリーズにはその後、松井秀喜さん、井口資仁さん、田口壮さん、松坂大輔選手、岡島秀樹投手、松井稼頭央選手、岩村明憲選手、上原浩治選手、田澤純一選手…と多くの日本人選手が続いた。新庄さんの前には登板機会こそなかったが初めてロースターに名を連ねた伊良部秀輝さんもいた。
勝者、敗者、両方を経験した者、12人の日本人ファイナリストのワールドシリーズはそれぞれだ。
もちろん2013年はボストン・レッドソックスで上原・田澤の両投手が活躍して世界一となった時には、国内の野球ファンも大いに盛り上がった。
しかしワールドシリーズ第7戦で敗れた悔しさは、2002年の新庄さんと今年の青木宣親選手だけが知る特別な感覚だ。
あと1勝で、あとアウトいくつかで、頂点を逃した悔しさは当人にしか分からない複雑な感情だろう。
こんな貴重な体験が忘れられてしまうのは、絶対に惜しい。
だから皆さん、いつの日かワールドシリーズ第7戦で活躍して、優勝を手にするヒーローが現れることを夢みて、今年の青木選手の活躍を語り継ごうではありませんか。
ロイヤルズを久々のワールドシリーズに導いた青木宣親選手に、大きな拍手を!
そして古巣ジャイアンツの皆さん。10年、12年に続く飛び石優勝、おめでとう!