大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



通算33人目の前田健太。投手としてドジャースで最も長く背番号「18」をつける可能性も

今季からドジャースで「18」の背番号を背負う前田健太。過去、最も長くドジャースで「18」をつけていた選手はどんな選手か。

2016/02/15

text By

photo

Getty Images



ドジャースで最も長く「18」をつけた選手は守備の名手

 NBAでプレーしたビル・ラッセルはスーパースターだが、こちらのラッセルは派手な選手ではなかった。
 打率はどのシーズンも3割に届かず、2ケタ本塁打も皆無。20盗塁に達したこともなかった。球団最多の通算106敬遠四球にしても、強打者ゆえに勝負を避けられたわけではなく、投手の前を打つ8番打者だったことが理由だ。
 
 一方、ラッセルは守備に優れ、1972年から12シーズンにわたって正遊撃手を務めた。ゴールドグラブ受賞が一度もないのは、この期間の前半にデーブ・コンセプシオン、後半はオジー・スミスが、ラッセルと同じリーグで遊撃手としてプレーしていたためだ。
 
 また、ラッセルは1973年途中から1981年にかけて、スティーブ・ガービー(一塁)、デービー・ロープス(二塁)、ロン・セイ(三塁)の3人と、メジャー史上最長の内野カルテットを形成した。カルテットのなかでは最少回数ながら、ラッセルはオールスター・ゲームに3度選ばれている。
 
 ラッセルよりも長きにわたって、前田がドジャースの背番号「18」をつけることはないだろう。ただ、投手に限れば、前田はドジャースで最も長く背番号「18」を使用する可能性がある。
 
 ポジションを問わず、ドジャースでラッセルに次いで背番号「18」の期間が長かったのは、右投手のジム・ヒューズだ。彼は1952~56年に背番号「18」のユニフォームを着て投げた。実は、メディア・ガイドのデータには漏れがあり、他にも背番号「18」を使用した選手は数人いるが、彼らはいずれも1シーズンに満たなかった。
 
 前田はドジャースと8年契約を交わしており、そこには付帯事項として、通訳などともに背番号「18」も謳ってある。移籍することなく投げ続ければ、背番号「18」の使用期間は2021年にヒューズを上回る。マリナーズの背番号「51」と言えば、ランディ・ジョンソンとイチローであるのと同じように、ドジャースの背番号「18」はビル・ラッセルとケンタ・マエダ、と言われる日が来るかもしれない。
 
 もう一つ、前田のユニフォームが赤から青に変わることに違和感を抱いているファンのために付け加えると、前田のユニフォームに記されている背番号「18」はホーム用もアウェー用も青色だが、どちらも胸文字の下には、赤く「18」とある。

1 2


error: Content is protected !!