青木宣親選手を支えた家族が明かすポストシーズンの戦い ロイヤルズ奥様会も一致団結
青木宣親選手の1年が終わった。2014年シーズン、カンザスシティ・ロイヤルズはワールドシリーズ第7戦まで戦い、世界一まであと一歩のところでサンフランシスコ・ジャイアンツに敗れた。不振を理由にスタメンから外れたり、順風満帆な1年ではなかったが、そんな青木選手を家族がしっかりと支えた。ポストシーズンをどのように送ったのか、青木選手の奥様の佐知さんに話を聞いた。
2014/11/14
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ポストシーズンはチャーター機で家族も遠征先で応援
――ワールドシリーズ7戦まで戦い抜いた青木選手。最後まで手に汗握る接戦にファンも一喜一憂し、また感動をもらいました。今年1年、家族にとってどのような1年だったでしょうか?
メジャーで戦うことの厳しさ、そして夢のようなワールドシリーズを経験でき、良いことも悪いこともどちらもギュッと凝縮された1年でした。
――ワールドシリーズの舞台に立つことは到底容易ではありません。青木選手に対して、家族はどのような気遣いをされましたか?
特に気遣った点はありません。ワールドシリーズはそもそも特別な舞台なので、私たち家族はいつも通りでいることが、までのようなベストパフォーマンスを生み出せると思っているので、あくまでも今までのシーズン通りでした。
――ポストシーズン期間中、家族はどのように青木選手を応援されたのでしょうか。
ポストシーズンに入ると、家族もチームのチャーター機で遠征先まで移動してもいいことになり、初めて子どもを連れて遠い遠征先まで応援に行くことができました。
サンフランシスコ、アナハイムと現地の球場で声援を送れたことは、家族にとって何よりのチームからのご褒美でした。
――青木選手はポストシーズン、苦しみました。
そうですね。なかなかヒットが出ませんでした。
それでも、私たち家族は今まで通りのサポートを心がけました。
主人の好きな豚汁も作りましたね。家庭内では、常に明るい雰囲気の中でリラックスして過ごしてもらえればなと思っていました。
――青木選手がポストシーズンで行っていた気分転換があれば教えてください。
シーズン中と変わらず、子ども達との時間でしょうか。特に、今まで一人で過ごしていたアウエーの自由時間も子ども達も帯同していましたから、一緒に過ごすことができて、リラックスしているようでした。サンフランシスコでは、街の象徴の坂を一緒に上ったり、日本食を食べに行ったりしました。