野球界のトップアマの海外挑戦も、時間の問題【元ドジャーススカウト、小島圭市の禅根夢標】
読売ジャイアンツなどでプレーし、その後ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトとして当時、黒田博樹投手や齋藤隆投手の入団に携わった小島圭市氏の連載。小島氏は現在、(株)K’sLabを立ち上げ、スポーツ環境の向上から青少年の育成に積極的に関わっています。前回に引き続き「若い世代の海外挑戦」がテーマ。時流を鑑みれば、近い将来、野球界からもトップアマがそのままアメリカなど海外挑戦を目指すケースは増えてくると指摘する。
2014/11/21
小島氏はアメリカで1年を過ごした後に、日本に帰国。中日ドラゴンズでプレーした。台湾の野球界などを転々とした後、現役を引退した。
2001年にドジャースの日本担当スカウトに就任。FA選手の獲得に動きながら、日本のトップのアマチュア選手の獲得にも奔走した。その背景には、もちろん、選手の能力を評価しているというのもあったが、日本人も海外に出ていくべきという観点が心底にはあった。
アメリカは下積みの組織がしっかりしている
前回も言いましたが、優秀な人間が海外に出ていくことによって、その人間はさらに優秀になります。日本にいても変わらないのです。日本の国土が、これから10倍になるかといったら、そうではありません。国土が大きい・小さいという議論ではなく、人間の器という意味なのですが、海外に出ていかない限り、器は大きくならないと思います。それは、今も昔も、そして、これからも同じでしょう。
(ドジャース時代)アマチュアの選手を獲得する交渉を始めたときは、周囲は肯定的ではなかったです。
多くの指導者から言われたのは『(選手が)行くわけない』『通用するわけがない』ということでした。ですから、私は『メジャーリーグじゃないですよ。マイナーリーグですよ。下積みを経ていくのです。一人前の板前になるのには10年はかかりますよね。アメリカの野球界は、下積みの組織がしっかりしているので、優秀な人間にとっては、きっちりした野球選手として成長できます』と話をさせてもらいました。
私は『選択肢に入れてほしい』という話をしました。日本のプロは12球団ありますが、その13番目の選択肢でもいいから、考えてくださいと。私は「アメリカに来い」と言ったことは1回もありません。『小島は無理に選手を連れていこうとしている』と言っていた人がいたと聞きましたが、私は1回もそういうことは言ったことがありません。
選択肢に入れてもらうところか始まりました。
誰かに言われたからではなく、自分で決断をしてほしい
交渉のテーブルにつくことができないということが、スカウトとしてはあってはいけないことです。
しかし、私は、交渉をした後は、一切、連絡を取りませんでした。
結論を待てばいいというスタンスでいました。もちろん、しつこく交渉するというタイプの人もいます。それを否定は致しません。私がそうしなかったということです。
すべての説明をしたら、あとは本人に考えてもらって、答えをくれたらいいと思っていました。
毎年、一人か二人に声を掛けてきましたが、一つだけ伝えたかったのは『自分で決断してほしい』ということでした。自分の人生ですから、その方が後悔しないのです。
選手は行きたいと思う時に挑戦するべきだと思います。結局は『自分が決める』というポリシーを持っていれば、成功や失敗ではなく、人生としてプラスになるのではないでしょうか。自分が決断して、数字を残せなかった、マイナーで終わったとしても、人生にとっては大きいと思います。誰かに言われていく、誰かに言われた「から」行く。その気持ちでは、得られるものは多くないと思います。
人生ですから、人としてどう考えるかだと思います。本人に行きたいという気持ちがあれば、すぐに行くべきだと思います。