【MLB】イチローとの縁も。背番号「51」、過去3人が永久欠番
イチローがオリックス時代からつけていた「51」。メジャーでもマリナーズ、マーリンズでも同じ背番号だが、「51」はこれまで偉大な名選手がつけており、イチローとの縁がある。
2016/07/11
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イチローの前に51を背負ったランディ・ジョンソン
イチローは、2001~12年にマリナーズで背番号「51」を使用し、ヤンキース時代(2012~14年)の「31」を経て、2015年からマーリンズで再び「51」のユニフォームを着ている。アメリカでも、「51」はイチローの背番号としてよく知られている。
もっとも、「51」の名選手はイチローだけではない。これまでに3人が「51」を永久欠番とされている。また彼らの背番号は、イチローとのつながりもある。
通算303勝を挙げたランディ・ジョンソンは、イチローの前にマリナーズで「51」を背負った。1989~98年のマリナーズ時代に加え、ランディは、エクスポズ(1988~89年/現ナショナルズ)、アストロズ(1998年)、ダイヤモンドバックス(1999~2004年、2007~08年)、ジャイアンツ(2009年)でも「51」を使用した。ダイヤモンドバックスの「51」は昨年8月に永久欠番になっていて、マリナーズの「51」もイチローの後に使った選手はいない。
2005~06年のヤンキース時代こそ「41」だったが、ランディが「51」以外で投げた試合は他にもある。1993年9月26日だ。ノーラン・ライアンがキャリア最後の登板を終えた4日後、ランディはライアンに敬意を表し「34」のユニフォームでマウンドに上がった。『シアトル・タイムズ紙』のボブ・フィニガンの記事によると、ランディは最初、キャップに「34」と書き込むつもりだったが、それでは見えないと思ったという。なお、確認できなかったものの、1988年9月のデビュー戦では「57」だったという説もある(2登板目は「51」だった)。
ランディがヤンキースに入団した時、「51」はバーニー・ウィリアムズが使用していた。バーニーは1991年から2006年まで、移籍することなくヤンキースの「51」としてプレーした。イチローが2012年の夏にヤンキースへ移った際に「31」を選んだのも、「51」がバーニーの背番号だったからだ。