恩師と球友が証言するイチローの高校時代。鈴木一朗は「高校レベルの練習は中学で終えていた」
現地8月7日のロッキーズ戦でMLB通算3000本安打を達成したイチロー。高校時代をよく知る恩師・球友の話から、いかにプロという舞台を見据えて練習に取り組んできたかが見えてくる。
2016/08/08
産経新聞社
「センター前ならいつでも打ちます」
ただ、2年夏までのイチローはまだミート力とうまさが前面に出たバッティング。「凄みが出てきたのは2年秋から」と中村は言った。そこへつながる分岐点となったのがイチローも3番レフトで出場した2年春の選抜大会だった。
名電は初戦で天理に敗れたが、天理の選手たちの体格の良さにチームとして「衝撃を受けた」(中村)。実はこの時、天理でトレーニング指導を行っていたのが、現ワールドウイング(鳥取県鳥取市)代表で、イチローもトレーニングを取り入れてきた小山裕史氏。これも不思議な縁だが、この一戦以降、名電もウエートトレーニングに力を入れ、イチローも背筋が210キロを超えるなどパワーアップ。2年秋以降はまさにヒットは当たり前という状態の中で打球も強さを増していった。
ただ、「どうしたらそれだけ打てるのかと」と中村が聞いても本人は「来た球を打ってるだけです」「特に何も……」。その中である時、のちに広まる名言も出た。
それが「センター前ならいつでも打ちます」という言葉だ。
中村は続ける。
「普通の高校生ではありえないけど、イチローから言われたら何も驚かなかった。本当にそうでした。3年の時は私も『今日は4打数6安打頼むぞ』と言ったりしてました(笑)」
3年春はエースとして2度目の甲子園を経験するも松商学園の前にまたしても初戦敗退。バットでも5打数ノーヒットと甲子園で目を引く活躍はできなかったが、最後の夏、愛知大会のバッティングはすさまじかった。
チームは決勝で東邦に敗れ鈴木一朗の高校生活は終わったが、7試合で28打数18安打の打率.640、3本塁打、17打点。中でも準々決勝の逆転2ラン、準決勝の満塁弾を含む3本のアーチは「パワー不足」という見方が強くあったスカウト陣を黙らせ、甲子園よりプロを第一の目標に愛工大名電を選んだ道を力強く次につなげるものだった。
3年間の打撃成績は151試合 613打席 536打数269安打 5割1厘 本塁打19 打点211 三振20。
「私たちの理解を超えたバッターでしたよ」