NPB史上最も制球力がいい投手は上原浩治! SO/BBから見えてくる投手の進化【広尾晃の「ネタになる記録ばなし」】
ブログ「野球の記録で話したい」を運営中で『プロ野球解説者を解説する』(イーストプレス刊)の著者でもある広尾晃氏。当WEBサイトでは、MLBとNPBの記録をテーマに、週2回、野球ファンがいつもと違う視点で野球を楽しめるコラムを提供していく。今回は、歴代の日本プロ野球投手の〝制球力〟についてだ。
2014/12/12
プロ野球は進化しているのか?
週刊誌では、オフになるとかつての大選手たちが「わしらの時代はすごかった」みたいな大言壮語をする企画がよく見られる。読み物として楽しいし、過去の大選手へのリスペクトも高まるだろう。
そういう記事を読むたびに思うのが、果たして「プロ野球は進化しているのだろうか」ということだ。
陸上競技など数字で結果が出るスポーツでは、進化の過程がすぐにわかる。
しかし相手があるボールゲームでは、競技としての進化や変化はなかなかわからない。
今回は「プロ野球は進化しているか」をデータから読み解いてみよう。
投手の〝制球力〟にポイントを絞って追いかけたい。
まずは「与四球」と「奪三振」の推移からだ。
2リーグに分立した1950年以降の、両リーグの1チーム1試合あたりの与四球数と奪三振数をグラフにした。
戦前はほとんどの時期を通じて与四球のほうが奪三振よりも多かった。
ボールが粗悪で品質にばらつきがあったからだとも言われるが、戦争で投手が出征し、穴埋めに力が劣った投手が登板したからという意見もある。
2リーグ分立直後は、両リーグともに与四球と奪三振の数が拮抗していた。しかし数年たつと奪三振が増えて、与四球を大きく引き離す。
稲尾和久、杉浦忠、金田正一などNPBを代表する大投手が次々と登場したからだ。
しかし70年代に入ると特にパリーグで奪三振が減少し、与四球が増えていく。
これは、指名打者制が導入されたのが大きいだろう。
さらにこの時期に強打の外国人選手が数多く来日し、本塁打が急増したことと関連があると思われる。
90年前後から再び奪三振数が増加する。
88年に東京ドームが開場。この時期からNPBの球場は両翼10mほど大型化する。当然、本塁打数は減る。
すると投手が思い切って内角を攻めることができるようになったのだろう。
2011年に統一球が導入され、打高投低になったが、奪三振数は徐々に増え、与四球数は横ばいだ。