4分の3を死守せよ!MLB黄金時代を実現したシーリグ・コミッショナーのステイクホルダー・マネジメント【豊浦彰太郎の Ball Game Biz】
MLBに空前の繁栄をもたらせたシーリグ・コミッショナーが引退する。23年に及ぶ治世を支えたのは、オーナー会議での「4分の3」の原則に則った、弱者へのケアというステイクホルダー・マネジメントだった。
2014/12/28
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中立的な立場であるコミッショナーに、〝オーナー〟出身が就任
今年のMLBは、3月22日に本国に先駆け南半球で開幕した。
1848年オープンの「シドニー・クリケット・グラウンド」での開幕戦、ダイヤモンドバックス対ドジャースの試合前に、プレスルームではバド・シーリグ・コミッショナーの共同インタビューが行われた。
2014年いっぱいでの勇退が決まっているシーリグは、自身の功績の一つであるMLBの国際化を中心に熱弁を振るう。すでに79歳だった(現在は80歳)が、エネルギーがほとばしっている。そこで私は、MLBに経済的黄金時代をもたらした稀代の名コミッショナーに、チェンジアップを投じてみた。
「1970年にミルウォーキー・ブリュワーズのオーナーになった時から、将来コミッショナーになる野望を持っていたのですか?」
会場は爆笑に包まれた。プレシーズンマッチから通算すると、4日間の開幕戦シリーズの全記者会見で、最も会場が湧いた場面だった。「ウケてどないすんねん?」と突っ込まれそうだが、手前ミソながらこの質問は奥が深いのだ。
コミッショナー(commisioner)というタイトルは、「最高責任者」の意味で使われるケースが多いが、本来の意味は「権限を委任された者」だ。
実際、MLB初代のコミッショナーであるケネソー・マウンテン・ランディスは、1919年のワールドシリーズでの八百長事件である「ブラックソックス事件」で揺れる球界をまとめるために、請われてイリノイ州連邦地裁判事から転身した人物だ。当時は、全く別組織だったアメリカン・リーグとナショナル・リーグの反目が激しく、両リーグをまとめあげるために中立的な立場の全権委任者が必要だったのだ。その後もMLBのコミッショナーの多くは外部から招聘されていた。
しかし、シーリグは特定球団のオーナー(ブリュワーズ)出身だ。本来の立ち位置は中立ではない。メジャーリーグでの最大の利害対立関係にある団体といえば、選手組合とMLB機構だ(近年は異常なまでに関係は良好だが)。その意味では、コミッショナーは労使関係において中立な立場の人物から選出されるのが望ましい。
とはいうものの、歴代のコミッショナーの多くは、外部招聘者でありながらその実態はオーナー連の利益を守ることが期待されていたのは間違いない。現に、シーリグの前任のフェイ・ビンセントは、選手会寄りの言動が目立ったため、危機感を抱いたオーナー達に解雇された。そして、その後任としてコミッショナー代行に就いたのがシーリグだった。要するに、シーリグは「一見中立」というタテマエをかなぐり捨てた初のコミッショナーで、その意味でもエポックメーキングだった。