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「今ならもっと評価されたはず」マイナーリーグ時代のチームメイトが語る、神様ランディ・バース

日本では神様と称されるほどの圧倒的な活躍を見せたバースだが、アメリカのマイナーでも優れた成績を残してきたことはあまり知られていない。彼とともに戦ったチームメイトは今でもバースのことをリスペクトしている。

2015/03/05

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バースは、後輩たちの良きお手本

 素晴らしい成績を残しながらも満足な機会を与えられなかったバースだが、ダグアウトではベテランとして常に後輩たちのよき見本であったようだ。日本でも評判のあった人柄や野球に対する姿勢はこの当時から発揮されていた。
 
 エクスポズのマイナーでのチームメイトで後に南海でもプレーしたデビッド・ホステトラーは「ランディは常に若い選手たちを手助けするために動き回っていた」と述べており、「私が彼から教わったことの1つに、物事を行う時、決して焦ってはいけないというものがある。当時の私は早く結果を出そうともがいていたからね」と振り返るティム・ウォラック(ドジャースのベンチコーチ)ら多くのチームメイトがバースから教えを受けたようだ。
 
 バースに転機が訪れたのは80年。マイナーリーグトップの37本塁打、143打点でMVPを獲得と自己最高の成績を残すと、9月に4球団目となるパドレスへトレード。シーズン終盤の加入ながらその年メジャーで19試合、翌81年はフルシーズンメジャーに帯同し自己最多の61試合に出場と初めてまとまった出番をつかんだ。
 
 ついに実力に見合った出番を勝ち得たかに思えたバースだったが、それは儚い夢に終わる。82年5月にアメリカでの最後の球団となるレンジャースにトレードされ、6月にはマイナー降格。2年ぶりのマイナーでも結果を残し続けたものの、バースに再びメジャー行きの切符が渡されることはなかった。
 
 翌年以降、日本に渡ってからの活躍はわざわざ記す必要もないだろう。マイナー通算238本塁打、OPS1.023の強打者は、遠く離れた異国の地でようやく実力に見合った評価を勝ち取ることになる。
 
 今も首脳陣としてメジャーリーグの最前線に立つバースの元チームメイトたちは「現代ならバースはもっと評価されたはずだ」と声をそろえる。もしバースがアメリカで正当な評価を受けていたとしたら…日本プロ野球の歴史も大きく変わっていたかもしれない。
 
“I think the world of that guy. He had a lot of charisma, he was one of those guys that people congregated around,” Ryan said.
「私はバースが大好きだ。彼はカリスマ性に富んでいて、人を惹きつけるタイプの人間だった」とライアンは言う。
 
 日本の野球ファンにとっては伝説的な存在であるランディ・バース、ともに過ごした選手たちにとってもまた忘れられぬチームメイトなのだろう。
 
出典:Bass was a slugger ahead of his time by Robert Emrich in MiLB.com on Mar.3rd 2015
 
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