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「我慢することが肝心」トミー・ジョン手術後のリハビリ経験が、その後の財産になる【元ドジャーススカウト、小島圭市の禅根夢標】

読売ジャイアンツなどでプレーし、その後ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトとして当時、黒田博樹投手や齋藤隆投手の入団に携わった小島圭市氏の連載。小島氏は現在、スポーツ環境の向上から青少年の育成に積極的に関わっています。今回のテーマは「トミー・ジョン手術」について。小島氏本人も手術を経験しているだけに、その内容には説得力があります。

2015/03/20

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手術を経験して、何を得たのか?

――ピッチングができるようになったのは?
 
 実戦で投げたのが12カ月後。ぴったりでしたね。紅白戦でした。予定通りにいけたので、完ぺきでした。ブルペンのマウンドでピッチングをしたのは、11カ月目くらいだったと思います。
 
――ひじ以外の部分がトレーニングされて、その効果もあると聞きます。
 
 ひじ以外は問題ないので、すごくトレーニングをしました。アメリカは環境が良く、グラウンドは天然芝で、自由にできる。アメリカにいって気分転換になりました。フロリダの青い空のもとで、集中できました。ひじ以外の体の変化も全然違いました。倍くらい体は強くなりましたし、バランスを取れるようになりました。体の使い方もわかるようになりました。人間にはそういう時期が必要なんでしょうね。野球人だけじゃなく、会社を辞めて、1年間、旅行するとか、そういうのは必要なんじゃないでしょうか。
 
――トミー・ジョンを経験したプラス要素はありますか?
 
 あらゆることがわかるようになりました。例えば、投げるために何が必要かとか。医学、精神的にもいろんなことが勉強できた。日本にいた8年間は、ただ投げているだけでしたが、投げるために必要なことすべてがわかりました。アメリカに行って、すべての謎が解けたというくらいでしたね。それはプレーだけじゃなく、指導に関しても、すべての面においてです。
 
――この1年間が小島さんにとって、かけがえのないものだったのでしょうか?
 
 どちらかというと、野球のことは二の次です。これを乗り越えられただけで、人生の大きな財産になりましたね。世の中には、歩くのに10年、掛かる人がいます。大病したり、不運な事故に遭って苦しんでいる人がおられます。そんな人たちのことを比べたら、私のような、ひじのけがは大したことではないなと思えた。1年間なんて、あっという間でしょう。そういう風に考えられたことが、人生において大きかったと思います。
 
――改めて、ダルビッシュ投手はいい決断をしたといえますね。
 
 現代の医学ではそうなるということです。でも実際、これから5年後がどうなるかはわかりません。ここ数年は保存療法というのが出てきていますから。最初にも言いましたが、スポーツをしていたら、野球をしていたら怪我をするリスクを伴います。アメリカは40年ほど前にトミー・ジョン手術というのができて、時間を経て、約90数パーセントという成功率を誇るようになりました。時間を掛けて今の歴史を積み上げてきたのです。アメリカでは今でも議論が起きています。ピッチスマートができたのも一つの例でしょう。しかし、日本では、議論がされているようには感じません。そのこと自体が問題だと思います。答えが出ないことですが、どこかに落としどころがあって、落とさないといけない。私の意見としては、少年期から青年期の球数について、非常に危惧しています。
 
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小島圭市 (2)
 
元ロサンゼルス・ドジャース 日本担当スカウト
小島圭市(こじま・けいいち)
 
1968年7月1日、神奈川県生まれ。東海大高輪台を卒業後の86年、ドラフト外で巨人に入団。 92年にプロ初勝利を挙げるなど、3勝をマークした。その後は故障に泣かされ、94年のオフに 巨人から戦力外通告。巨人在籍中の怪我の影響で1年浪人のあと、96年テキサス・レンジャーズとマイナー契約。1年間、マイナーリーグで活躍した。翌年に日本球界に復帰し中日ドラゴンズでプレー。その後は、台湾の興農ブルズなどで活躍し、現役を引退した。01年日本担当スカウトに就任。石井一久、黒田博樹(ヤンキース)、斎藤隆(楽天)の獲得に尽力。三人が活躍したことから、スカウトとしての腕前を評価された。2013年にスカウトを退職。現在はジュニア育成のため、全国の小・中学生の指導者へ向けた講演会活動や少年野球教室を展開している。
 
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