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【元ドジャーススカウト、小島圭市の禅根夢標】田中将大投手は、投球スタイルの転換を~ヒジの故障から考える日本野球界の課題

ベースボールチャンネルでは、月2回、読売ジャイアンツなどでプレーし、その後ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトとして当時、黒田博樹投手や齋藤隆投手の入団に携わった小島圭市氏の連載をスタートさせます。小島氏は現在、(株)K’sLabを立ち上げ、スポーツ環境の向上から青少年の育成に積極的に関わっています。この連載では、日本の野球界が発展するための視点から、一つのテーマを深く掘り下げ、野球ファンや、野球指導に携わる皆さんに問題提起をしていきたいと考えています。第1回目は「田中将大投手は、投球スタイルの転換を~ヒジの故障から考える日本野球界の課題」です。

2014/09/26

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ヒジの変形は、体ができる前の投げすぎが原因

 一方で、田中投手が故障をしたという事実は、日本の野球界に与えた影響も大きいと思います。
 
 日米のボールを比較して、日本のボールは滑りにくいから負担が軽いという報道もありました。もちろん、その影響がないわけではないですが、私は体ができてないうちの投げすぎが影響していると考えています。
  
 知人のあるドクターが興味深い質問をしてきました。そのドクターは、日本のプロ野球選手とメジャーの投手のヒジを比べてレントゲンを撮り、どれだけヒジが変形しているか、調べたそうです。
 
 アメリカの投手のヒジが変形していたのが数人しかいなかったのに対し「小島さん、日本の投手はどれくらいヒジが変形していると思いますか?」と聞いてきたので、「6~7割くらいかな?」と答えました。
 
 すると「95%だ」というのです。
 つまり、ドクターが調査した選手のほとんどのヒジが変形していたという意味です。
 
 なぜこのような事態が起きるのでしょうか。これは子どものときの投げすぎ以外の何物でもないそうです。このように、日本の中にも研究している人がいます。骨が成形した後に投げても、骨は変形しない。骨ができる前に投げすぎているから、ヒジの骨が変形していくのです。
 
 こういった問題は小学生から手を入れていかないと、本当のスーパースターは生まれないと思います。もちろん、突発的にスーパースターが生まれることはあります。しかし、それを待っているのだったら、指導者はいらないですよね。
 
 スカウトとして、そういう現場を見てきて、これは違うなと感じ、私は13年間続けていたスカウトを辞めました。今は、(株)K’sLabという会社を立ち上げて、その仕組みを作って取り組んでいます。
 
 今回、田中投手が怪我をして、アメリカで議論になりました。日本からすれば、田中投手だけの問題ととらえられ、目の前の事実だけを見てアメリカが悪いとなっていますが、アメリカでは、もっとビッグネームが手術をしていて、たくさんの人が研究をしています。
 
 公人から私人まで、『トミー・ジョン』と検索しただけで、たくさんの文献が出てきます。球団の人間じゃなくてです。遠投が良くないのだとか、若いうちから速い球を投げるのが良くない……というように。
 
 こういう問題が起きて、日本は、次にどの方向に進むかという視点で考えたら、ジュニアの育成システムを整備するしかない。いわば、議論をしなくてはなりません。
 
 しかし実際、ジュニア、中学や高校、大学、社会人、プロ。日本のどこかで議論していますか? それが問題だと言っていますか? アメリカでは議論されています。安倍総理が経済界のトップを連れて、世界中を回ってトップの会談を行っていますよね。
 
 野球界も、そういう視点や観点、客観性を持って、見ていくべきではないでしょうか。
 
 私はジュニア育成を変えていかないといけないと思っています。この認識が日本全国にいきわたれば、もっとすごい選手が出てくると思います。
 MLBではドミニカやベネズエラ、プエルトリコの選手がメジャーで活躍していますが、日本も育成さえしっかりすれば、MLBに日本人が多く占める時が来るはずです。
 
小島圭市 (2)
 
元ロサンゼルスドジャース 日本担当スカウト
小島圭市(こじま・けいいち)
 
1968年7月1日、神奈川県生まれ。東海大高輪台を卒業後の86年、ドラフト外で巨人に入団。 92年にプロ初勝利を挙げるなど、3勝をマークした。その後は故障に泣かされ、94年のオフに 巨人から戦力外通告。巨人在籍中の怪我の影響で1年浪人のあと、96年テキサスレンジャーズとマイナー契約。1年間、マイナーリーグで活躍 した。翌年に日本球界に復帰し中日ドラゴンズでプレー。その後は、台湾の興農ブルズなどで活躍し、現役を引退した。01年日本担当スカウトに就任。石井一久、黒田博樹(ヤンキース)、斎藤隆(楽天)の獲得に尽力。三人が活躍したことから、スカウトとしての腕前を評価された。2013年にスカウトを退職。現在はジュニア育成のため、全国の小・中学生の指導者へ向けた講演会活動や少年野球教室を展開。2014年には会社「K’sLab」を設立。その活動を深く追求している。

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