千葉ロッテ時代が礎に。渡辺俊介の挑戦へ導いた恩師・ボビー・バレンタインとの出会い
千葉ロッテマリーンズの先発の中心選手として活躍した渡辺俊介。球界では稀有なサブマリンは、マリーンズファンのみならず、野球ファンからも愛された。その渡辺が昨年千葉ロッテを退団。メジャーリーグへの挑戦を表明した。その決断の背景には、自身が師と仰ぎ、千葉ロッテを劇的に変えたボビー・バレンタインの存在があった。
2014/10/05
河野大輔@innings,Co.
日本のスポーツ界には変革者が必要
13年シーズンオフ、渡辺俊介はメジャー移籍を表明し、13シーズン在籍したロッテを退団。名門レッドソックスのスプリングトレーニング参加のため、年が明けた14年、海を渡った。
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、海外チーム相手に活躍をしたこともあった。だが8月には38歳を迎える、この年齢でのメジャー挑戦は正直周囲も驚いた。
「ボビー(・バレンタイン元ロッテ監督)とやっている時は、日本でもアメリカの野球をやっていたので、別にアメリカへ行きたいとは思わなかった。ボビーも当時『ワールドシリーズに日本のチームも参加するようにしたい』という構想をぶちまけていた。だから『最高じゃないか。それを一緒に目指して行きたい』と思ってやっていた。『そんなに簡単じゃないぞ』って、すぐに気付いたんですけど…(笑)」
「でもボビーも09年限りでロッテを去った。それで、自分自身の残された野球人生を考えた時に、『メジャー、アメリカでやりたい』と思った。ちょうど3年ぐらい前のこと」
渡辺にとって、ボビーという恩師の存在も大きく影響を与えていた。
「ボビーが来て、ロッテの野球を劇的に変えた。優勝して人気も出て、その後、一時期、他のチームでもアメリカ人監督がはやった。そういう意味でもボビーはパイオニアだったと思う」
「また、ボビーは日本の文化も勉強していた。日本とアメリカの野球の融合を常に考えていた。日本人の特徴だったり良さをわかっていた。ボビーのように行動力も実績もリーダーシップもある人は、なかなかいないですから。野球界に限らず、日本のスポーツ界はああいう人たちがどんどん来てほしい。変革していくきっかけを作ってくれると、どんどん良くなっていくと思う。そういうのがすごく必要だと思う」