「夢を叶えた」ではなく「夢の始まり」 元巨人ドラ1・村田透がメジャーデビュー
現地時間28日、また一人、日本人メジャーリーガーが誕生した。元巨人の村田透が4年間のマイナー経験を経てメジャー初登板を果たした。
2015/06/29
阿佐智
元巨人ドラフト1位投手がメジャーデビュー
野茂英雄が、道を切り開いて20年。今シーズンは大物のメジャー挑戦がなく、新たな日本人メジャーリーガーが生まれないのではと危惧されていたが、日本人メジャーリーガーの歴史に新たな名が刻まれることになった。村田透。今となっては、よほどの野球好きでないと知らない名前かもしれない。
大体大時代、日本一に輝き、2007年秋のドラフトで巨人の1位指名を受けた男も、すでに30歳。日本では、イースタンで通算2勝10敗、防御率4.56という成績しか残せなかった遅咲きの選手が、クリーブランド・インディアンズの先発投手として、現地時間28日(日本時間29日)のダブルヘッダー第2戦のマウンドに上がった。3回1/3を投げて4安打、2奪三振、5失点。2回に味方のエラーからピンチを招き、ヒットで2点を先制されると、4回には2被弾を許し、メジャーデビューはほろ苦いモノとなった。
着実にステップアップ
巨人時代のことは語りたがらない。悔しさは日本においてきたのだろう。
「引退するつもりなど全くなかった」という村田は、2011年春、インディアンスとマイナー契約を結び、アリゾナの地に降り立った。巨人時代に参加した、この地で行われたオフのフォールリーグで感じた「ベースボールの楽しさ」だけが心の寄り処だった。
「こっちに来て、初めて外国人選手の気持ちがわかりました。逆に、実力があっても活躍できなかった選手がなぜそうだったのかもわかりました」
村田がまず心がけたのは、アメリカの生活に溶け込むことだった。気難しいルームメイトとも打ち解けるため、必死で英語を覚え、1年目は多少の疲れがあっても、チームメイトと夜の街にも繰り出した。
「行った先で、適応が難しい云々言っているようじゃダメなんですよ」
生活だけでなく、プレーの環境、ボールの質などについても、言いたいことは胸の底に沈めて、ベースボールに慣れようとした。そういう努力のおかげか、村田は一歩一歩ではあったが、着実にメジャーへの階段を登っていった。
1年目は、1Aキンストンで3勝2敗2セーブを挙げ、パナマのウィンターリーグでも主戦投手として投げた。2年目は1Aキャロライナでスタートするも、すぐに2Aアクロンに昇格、ここで3勝1敗、防御率2.60の好成績を挙げると、3Aコロンバスでもデビューを飾った。このオフには、ウィンターリーグ最高峰とも言われているベネズエラでもプレーした。そして、3年目には、先発ローテーションに入り、イニング数も150回を超えた。オフのベネズエラリーグも含めた33試合すべて先発を務めたことは、球団が村田を本格的に先発を任せようとしていた証である。
昨シーズンは、序盤は慣れないリリーフを経験したものの、その後は先発ローテションに定着、2Aと3Aで計10勝を挙げている。3シーズン目となったベネズエラでは、プレーオフの先発も任され、メジャーリーガーとも「ガチンコ勝負」を経験した。メジャーが手の届くところまで来ていることは、昨年、今年とスプリングトレーニングでメジャーのオープン戦で投げたことが示している。
しかし、この両登板とも、慣れないリリーフということもあってか、いずれも失点している。