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井口資仁、中村紀洋がメジャー挑戦、井口は日本人選手初のワールドチャンピオンに――日本人野手のメジャー挑戦を振り返る【2005年編】

2020/07/07

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井口資仁と中村紀洋がメジャーデビュー

 2005年は、井口資仁、中村紀洋と2人の内野手がメジャーデビュー。両選手の成績は、大きく明暗が分かれることとなった。まずは、井口の成績から振り返っていきたい。
 
 井口は、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)からシカゴ・ホワイトソックスに入団。NPBでは、「ダイハード打線」の中核を担い、盗塁王も2度獲得するなど走攻守三拍子揃った選手として活躍した。
 
 MLBでは、開幕戦に「2番・二塁」として名を連ねた井口。シュアな打撃と小技もこなせる器用さで、チームの特徴となった「スモール・ベースボール」を体現し、地区優勝に貢献した。
 
 ポストシーズンでも本塁打を放つなど活躍し、ワールドシリーズへ進出。破竹の4連勝を果たし、メジャーデビュー年でワールドチャンピオンに輝いた。
 
 最終的に135試合に出場。打率.278、15本塁打、71打点、OPS.780の好成績を残した。また、打撃ではチームバッティングに徹するなど、数字以上の貢献度を見せた。
 
 続いて中村紀洋の成績を振り返っていきたい。
 
 中村は、近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)からポスティングシステムを行使し、マイナー契約でロサンゼルス・ドジャースに入団。NPBでは本塁打王1回、打点王2回を獲得するなど、長距離砲として活躍した。
 
 MLBでは、マイナーで開幕を迎えたが、4月には早々にメジャー初昇格を果たした。
 
 しかし、アピールポイントの打撃が振るわず、1ヶ月ほどで降格。以降はマイナーで本塁打を放つなどアピールするも、再昇格は叶わず、シーズンを終えた。
 
 最終的に17試合に出場。打率.128、OPS.350となった。潜在能力を発揮しきれず、翌年からは日本球界に復帰した。

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