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斎藤佑樹、輝く時は再び訪れず。それでもその存在感は別格だった【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#157】

甲子園のスターとして脚光を浴びた「佑ちゃん」こと、斎藤佑樹が今シーズン限りで現役を引退する。プロではケガにも悩まされ、結果が出ずに苦しい日々が続き、あの輝きが再びよみがえることはなかった。

2021/10/02

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松坂をこえる「佑ちゃん」フィーバー

 斎藤佑樹のいちばんの思い出は入団した年の春季キャンプだ。僕は北海道新聞の特派で「佑ちゃん」のキャンプ取材をした。宿は同行した若手記者に(道新観光で)取ってもらったのだが、名護市街から遠く離れ、小一時間クルマで山に登った場所にあった。驚いたことに高射砲台の跡があった。取材陣が殺到しすぎて、そんな不便なところしか空いてなかったのだ。新庄フィーバー、それからダルビッシュ有・中田翔・大谷翔平・清宮幸太郎・吉田輝星と黄金ルーキーフィーバーをひと通り見てきたが、圧倒的に「佑ちゃん」が抜けていた。本当にダントツだ。僕は二度と高射砲台跡のある宿に泊まってないし、あんなに多くの報道陣にもみくちゃにされていない。
 
「佑ちゃん」フィーバーの名護キャンプは2011年のことだから、皆、記憶が薄れてしまっているのだ。地上波のワイドショーが連日、名護から生中継を出した。そんなルーキー、球団史に彼一人しかいない。いや、他球団でもどうだろう。松坂大輔級? いや、松坂だって毎日、ワイドショーのカメラに追われてはいない。空前絶後だろう。2011年の2月は毎日(GAORAのキャンプ中継以外に)地上波で名護の生中継が見られるノンキな日々だったのだ。もちろん翌月、東日本大震災で空気は一変する。皆、記憶が薄れてしまってるのも無理はないのだ。
 
 2011年はダルビッシュの渡米する前の年で、たった1年だけダルビッシュと斎藤佑樹が並んでブルペンに入る姿が見られた。翌2012年、エース不在のファイターズで開幕投手を務めるのが「佑ちゃん」で、だからこそ「今は『持ってます』というより『背負ってます』という気持ち」のヒーローインタビューが成立したのだ。2011年、僕はダル、「佑ちゃん」揃い踏みのブルペンを見た。報道陣の群がる名護の特設ブルペンだ。

緩急を使った投球術が使えず

 悲しいほど差があった。ダルはウエイトを積んで入団時より身体ががっしりしている。もうロケットみたいな球を投じている。その横で「佑ちゃん」はさっぱりだった。踏み込む左足が突っ張って体重移動を止めている。いわゆる立ち投げだ。甲子園ではもっと威力のある球を投げていたが、大学時代に立ち投げのクセをつけてしまった。もっとフォームが粘らないとプロで苦労するだろう。
 
 僕はとにかく緩急を使えるようになるといいと思った。緩急が使えれば130キロ台のストレートだって見逃し三振が取れる。「佑ちゃん」はダルのようには到底なれない。だったら投球術のタイプになればいい。確か道新のキャンプレポートにそう書いた。
 
 緩急を使うイメージは例えば武田勝なのだが、投球術という意味では芝草宇宙が念頭にあった。芝草宇宙も斎藤佑樹もともに甲子園のアイドルだ。帝京と早実、東京の実力校出身というのも似ている。芝草は個人的にも付き合いがあったが、人気におぼれず、自分のスタイルをコツコツ作り上げる強さがあった。2ケタ勝利は一度もしていないが、NPB実働14年46勝56敗、ローテ級の活躍を果たした。
 
 これは笑い話でもあるのだが、一度、スポーツ報知の対談企画に呼ばれたとき(2012年の優勝記念紙面だった)、僕はその芝草論を披露した。斎藤佑樹が努力すれば芝草になれると思うんです…。それが報知のデスクに大受けして「がんばれ佑ちゃん、君は芝草になれる!」だったかな、見出しになった。
 
 後日、佑ちゃんファンから大文句を言われたものだ。「芝草ってバカにしてるのか!?」。いや、僕はあなた芝草を知らんでしょ、という気持ちだった。90年代の主戦級だぞ。芝草は丈夫な選手で、キャリアの晩年、突如、150キロ台のストレートを投じたりした(だから抑えをやった)くらいだから、故障がちだった斎藤と一概には比較できない。が、1軍実働9年15勝26敗だから目標としては間違ってなかったと思う。50勝近く仕事をした芝草はだいぶ先を行っている。
 
 もうあの頃から10年以上が過ぎてしまった。「佑ちゃん」は結局芝草にはなれず、スターの残照をまとったまま引退していく。彼はたぶん学生野球でスパッと辞めていたら伝説の投手になっていただろう。皆のいちばん美しい記憶が色あせることなく、フリーズドライしていただろう。しかし、プロのユニホームを着てくれたのだ。「元・伝説の投手」を演じてくれたのだ。水島新司の『野球狂の詩』に出てきそうなキャラクターだ。僕は好きだった。彼のレプリカユニホームを持っている。
 
 この土日、鎌ケ谷でお別れ登板があるかどうか。おそらくその後、ラスト登板は札幌で行われるだろう。ひとつ気になるのは今季、楽天戦が1試合だけ残っているのだ。まさかね、それが田中将大の登板試合になって、ハムの2番手あたりで斎藤佑樹の出番が、なんてことないだろうか。そんな都合のいいことあり得ないかなぁ。まぁ、そこはどうあれ、僕は最後まで斎藤佑樹を応援する。佑ちゃん、夢をありがとう。

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