楽天球団創設時を知る唯一の投手。リリーフ専門、闘将が絶大な信頼を寄せた小山伸一郎
名選手が相次いで引退表明をしている2015年。楽天では斎藤隆につづき、球団創設時以来チームを支え続けた小山伸一郎も今季限りでの引退が発表された。星野仙一前監督が信頼を寄せる、貴重な存在だった。
2015/09/27
NPBでは11人しかいない5年連続50試合登板も達成
人望も厚く、投手陣のまとめ役でもあった。苦悩する嶋の相談役を務めるなど、多くの選手から慕われる存在だった。引退を惜しんだ田中将大が語った「いい意味で昔かたぎ、すごく貴重な存在」がそのことをよく表している。
2013年、チームが優勝戦線の渦中にいた8月のことだった。これまでの勤続疲労がたたったのだろう。調子を落とした小山は1軍登録抹消を余儀なくされていた。しかし、チームリーダーとして投手陣を引っ張った功労を高く評価していた星野監督は、ここで小山を利府に行かせるのは損失と1軍帯同しながらの調整を許すほど、フィールドの内外を問わず、チームに欠かせない存在だった。
日本シリーズ第4戦では星野監督と小山の絆を再確認できるシーンがあった。
楽天は4-2と2点リードしていたが、4回に宮川が崩れて無死満塁のピンチに。試合の流れが大きく変わるかもしれない重要な局面で誰を火消しに向かわせるのか?
闘将が火消しに指名したのは背番号57だった。
期待どおり小山は最小失点で切り抜け、逆転を許さずにベンチに戻ってきた。
小山のハイライトは2012年だ。
防御率1.99、1勝2敗、WHIP1.11、25ホールドを記録したこの年は、5年連続50試合登板の最終年。背番号と同じ自己最多の57試合で投げた。57試合中75%に当たる43試合が実に2点差以内の接戦での起用とセットアッパーとして活躍。
得点圏被打率49打数8安打(全て単打)の.163という素晴らしさだった。5月20日の甲子園、三球三振に仕留めたマートンの初球で151キロを計測。
この1球が、小山が最後に記録した150キロ超えの真っすぐだった。
昨年、中島俊哉が引退した時も感じたが、球団最初の10年間を知る功労者がチームを去るのは正直、寂しい。しかし、新たな歴史を作っていくには避けては通れない道だ。記者会見でチームメイトにメッセージをと促された小山は「素晴らしい素質を持った選手が多い。これからどんどん常勝チームを作るには若い力が絶対必要」と期待感を込めて若手が多いこのチームのポテンシャルを評した。小山の背中を見て育った後輩選手の奮起こそ、最高の惜別となるはずだ。