阪神の成績に大きく影響。マートン、バース、グリーンウェル……明暗分かれる外国人選手
昨年は助っ人4選手の大活躍でリーグ優勝した阪神だが、今年はマートン・ゴメスの野手陣が結果を出せず、V逸の要因にもなった。シーズンを終えて、セリーグのシーズン安打数記録保持者のマートンの退団が決定的に。優勝時は必ずと言ってもいいほど、外国人選手がチームの勝利に貢献した。一方で成績低迷時には「バースの再来」といわれながらも期待を裏切った外国人選手が多い。
2015/10/18
神のお告げで日本をあとに
一方で、過去には不発に終わった数多くの「バースの再来」たちもいる。一番に名前があがるのがマイク・グリーンウェルだろう。
メジャー通算130本塁打、1988年には打率.325、119打点でシルバースラッガー賞にも輝くなど抜群の実績を誇ったグリーンウェル。阪神が球団史上最高額となる3.8億円の大金を払い獲得した超大物外国人選手だけにファンの期待も大きかったが、春季キャンプで背中の痛みを訴え途中帰国すると、再来日は開幕後の4月下旬。5月3日に初出場を果たしたものの、5月11日の巨人戦で自打球により骨折、「野球を辞めろという神のお告げ」の名文句を残しさっさと帰国してしまった。高額の契約金、そしてその衝撃的すぎる退団劇故に今でも「史上最悪の外国人選手」の1人として名高い。
日本ではわずか7試合出場、散々な成績に終わったグリーンウェルだが、帰国後は遊園地ビジネスに成功、レーサーに転向し2006年にはレース出場も果たしている。
97年入団 7試合 打率.231(26-6) 0本 5打点 OPS.656
グリーンウェルとともに阪神の2大ハズレ外国人選手と称されるのが94年に来日したロブ・ディアー。
メジャー通算226本塁打、前年まで8年連続20本塁打以上という実績をひっさげての来日だったディアー、キャンプの打撃練習では特大アーチでスタンドを沸かすも、シーズンに入ってからはからっきし。外角低めの変化球にかすりもしない日々が続き、三振の山を積み重ねた。
結局8月に怪我で帰国し、そのまま退団。「2億7千万の大型扇風機」と揶揄された。96年にはパドレスで50打数30三振、三振率6割の記録を作り引退、引退後は打撃コーチをつとめ「俺のようなスイングをするな」。
94年入団 70試合 打率.151(192-29) 8本 21打点 76三振OPS.576
成績こそ悪くなかったもののそのお騒がせっぷりが目立ったのがダレル・メイ。
98年に入団すると、1年目は安定したピッチングを見せたものの援護なく4勝。2年目は6勝こそあげたものの、松井秀喜を死球で激怒させる、抗議中にランナーを返してしまい失点といったプレーに加え、当時の野村監督を中傷するビラを配って回るなどの問題行動で、球団から罰金1200万円と無期限謹慎処分を受けた。
その後は巨人に移籍して2年連続二けた勝利、2002年のメジャー復帰後もロイヤルズの主戦投手として活躍した。
98年入団 89試合32勝31敗 540K/178BB 防御率3.67
【その他の主なハズレ外国人選手】
ブルックス・コンラッド 24試合 打率.175 0本塁打 0打点(13年)
「短期間で獲得を決めた」ところあえなく失敗。阪神外国人選手野手史上初の0打点に終わる。
ケビン・メンチ15試合 打率.148 0本塁打 2打点(09年)
5ツールプレイヤーとして期待も140km/hにすら対応できずからっきし。
ルー・フォード 47試合 打率.225 3本塁打 11打点(08年)
メジャー時代はガッツあふれるプレーで人気を集めたが、日本ではその片鱗も見せられず。大学ではコンピューター科学を学んでいた秀才。
エステバン・ジャン 21試合 6勝5敗 防御率4.66 (07年)
シーズン12ボークの日本新記録。「ドミニカに帰りたい」発言も。
マイク・キンケード 26試合 打率.233 3本塁打 7打点(04年)
わずか26試合で12死球。開幕戦では球審への暴言で開幕戦46年ぶりとなる退場処分。
トニー・タラスコ 102試合 打率.239 19本塁打 57打点(00年)
外野の守備は一級品。新庄との右中間は鉄壁も、打撃不振のためわずか1年で解雇。
ハワード・バトル 13試合 打率.227 1本塁打 1打点(00年)
太りすぎでキャンプ、開幕ともに2軍スタート。成績は散々も、ベンチにいるとなぜか連勝の続くジンクスから「勝利の大黒様」と呼ばれた。
ルパート・ジョーンズ 52試合 打率.254 8本塁打 27打点(88年)
退団のバースに代わって入団した元祖「バースの再来」。日本で初めて背番号00をつけた選手としても有名。