山田久志、松坂、ダルビッシュ有……実働29年・中嶋聡が受けてきた名投手たち
9月28日に29年間の現役生活に終止符を打つことを発表した日本ハムの中嶋聡。阪急、オリックス、西武、横浜、日本ハムと複数の球団と時代を渡り歩いてきた中嶋は山田久志、松坂大輔、ダルビッシュ有ら多くの名投手のボールを受けてきた。
2015/09/30
最後の阪急戦士
9月28日、北海道日本ハムファイターズの選手兼バッテリーコーチである中嶋聡が今シーズン限りでの現役引退を発表した。プロ入り以来阪急ブレーブス(途中オリックスブレーブスを経てオリックスブルーウェーブへ)、西武ライオンズ、横浜ベイスターズ、そして日本ハム、29年間で4球団を渡り歩いてきた中嶋はその左手で多くの名投手のボールを受けてきた。
秋田の鷹巣農林高校でプレーしていた中嶋は1986年のドラフトで阪急ブレーブスから3位指名を受け入団。同期入団には「ミスター・ブルーウェーブ」として知られる藤井康雄(4位指名)らがいた。
当時のパリーグは西武の黄金時代。
阪急は84年以来優勝から遠ざかっていたものの、投手陣には通算284勝をあげた不世出のサブマリン山田久志や、完全試合も達成した「酒仙投手」今井雄太郎の両ベテラン、「ヨシボール」で有名な佐藤義則(同32歳)ら錚々たる顔ぶれが並んでいた。
高校卒の捕手としては珍しく1年目から1軍の舞台を経験し、2年目には74試合に出場。中嶋は彼らベテランたちから薫陶を受けた。
オリックス時代には、スローカーブで知られる星野伸行や通算112勝の山沖之彦、「シュートの鬼」西本聖、メジャーリーグでも活躍した長谷川滋利といった数々の名投手のボールを受けてきた。
特に星野のボールを素手で捕球し、投球より速い返球を返したエピソードはあまりにも有名だ。
野田浩司がプロ野球記録の1試合19奪三振を達成した1995年4月21日の試合でマスクをかぶっていたのも中嶋だった。