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DeNAのチームスタッフとして夢のつづきを。来日17年、余聖傑の想い

現在、デスク兼打撃投手としてチームを支える余聖傑(ヨ・スンチェ)さん。16歳で台湾から来日。残念ながらプロ野球選手になるという夢はかなわなかったが、プロの球団で野球に携わる仕事ができる喜びを胸に日々奮闘している。

2021/12/14

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先輩・陽岱鋼の姿を手本に

 スンチェさんは日本語がまだおぼつかないこともあり陽に通訳をはじめ、寮での過ごし方や日本での生活のノウハウを教えてもらった。非常に助かったというが、それ以上に衝撃だったのは、陽のプレーだった。
 
「試合はもちろん練習でも陽さんはダントツでした。また練習後、ひとりコツコツと自主練をする姿をよく見かけましたし、こういう人がプロに行くんだって思ったんです」
 
 スンチェさんは1年でベンチ入りし、陽の最後の夏を一緒に戦っている。尊敬すべき先輩との日々により、スンチェさんの心にある気持ちが芽吹いた。
 
「プロになりたい。陽さんの姿を見て、ああなりたいって僕に夢ができたんです」
 
 日本でプロ野球選手になる。スンチェさんは、そう心に誓った。
 
 ポジションは外野手兼投手。2年の秋から四番に座ったスンチェさんは、高校通算20本塁打を放った。数球団から高校にスカウトが訪れたものの、残念ながら甲子園出場もドラフトにかかることはなかった。
 
 その後、日本経済大学に進学。スンチェさんは入部すると監督に言った。
 
「投手一本でやらせてください!」
 
 好きだったピッチャーで大成したかった。監督は打者でやっていくべきだと諭したが、やりたいという気持ちを抑えきれなかった。
 
 MAXは143キロ。変化球はスライダー、チェンジアップ、フォーク、ツーシーム。研鑽を重ね日々努力はしたが、結果が伴わず、大学4年間は未勝利に終わっている。
 
 大学卒業後も野球はつづけたかったが、この成績では有力なチームから声はかからない。故郷に戻る選択もあったと思うが、スンチェさんは大好きな野球を諦め切ることができなかった。すると幸運にも社会人野球のクラブチームである滋賀・高島ベースボールクラブから声がかかった。
 
「高島ベースボールクラブの監督が視察に訪れたとき、他にお目当ての投手がいたのですが不調で投げられず、たまたまいいピッチングを見せていた僕に興味を示してくれたんです」
 
 まだ、野球がつづけられる。プロの夢は諦めたくない。日本であればどこであっても構わなかった。異国でのタフな生活。なぜここまで野球に魅了されたのか、スンチェさんは真っすぐな眼で言う。
 
「野球が好きですし、やっぱり陽さんに影響を受けたように、人に夢を与えることができるのは素晴らしいことだと思うんです。だから僕もいい選手になって、後輩や子どもたちのために少しでも夢を与えられたらって」
 
 2014年に滋賀・高島ベースボールクラブが解散をすると、スンチェさんは同じく社会人のクラブチームであるOBC高島に移籍。現役生活を2020年までつづけることとなる。
 
 30歳を超え、選手としての終わりが近づいていた昨年、OBC高島のゼネラル・マネージャーをしていたDeNAのファーム投手コーチである大家友和の紹介で球団から打撃投手としてのオファーを受けた。
 
「じつは以前にも一度声をかけてもらっていて、当時はトミー・ジョン手術をして満足に投げられないことに加え、もっと選手としてやりたいという思いがあり断ったんです。それなのにまた声をかけていただいて……。迷うことなく、よろしくお願いしますと返事をしました」

もっと日本語を完璧にしたい

 取材中、スンチェさんは何度も「野球が好きなんです」と語っていた。その熱い想いが、今の環境を引き寄せたのかもしれない。
 
「もうプロには絶対になれないとわかってはいましたが、野球が好きだからボロボロになるまでやりたかった。でも心の奥底では諦めたくないという気持ちがあったし、そういう姿を大家さんは見て球団に推薦してくれたんだと思います。どういう形にせよ、野球に携わる仕事はしたかったですし、信念を貫いてやって来たからこそプロの球団にチャンスをいただけたと思っているんです」
 
 台湾に住む母親はDeNAへの入団を泣いて喜んでくれたという。故郷を離れもう17年になる。親孝行をするまで時間はかかってしまったが、スンチェさんは夢のひとつを日本で達成することができた。
 
「今はコロナ禍で台湾に戻れず少し寂しいですね。僕を送り出してくれて見守ってくれた両親にはすごく感謝していますし、それにDeNAに入ったことを直接伝えられていないので、すごく会いたいです。ただ僕としては今後もできるだけ長く、日本で野球の仕事をしていきたいと思っています」
 
 今オフから“チーム付きデスク”に異動した。業務は球団と選手を繋ぐ役割であり、交渉事が多く気をつかう場面も多々あるが、持ち前のコミュニケーション能力で乗り越えていくつもりだ。
 
 また打撃投手としては、選手に生きたボールを投げなければいけないのでコンディショニングには細心の注意を払っている。忙しい業務の間を縫って、練習前や試合後にはトレーニングやランニングをして体力維持に努め、選手たちが意図するようなボールを投げ打撃向上に繋げてもらいたいと願っている。
 
「選手をサポートすることが僕ら裏方の役目ですし、選手たちが試合にいい状態で出場し、かつ集中できることを意識して自分の仕事に取り組んでいます。課題ですか? うーん、もうちょっと日本語を完璧にしたいですね(苦笑)。皆さんにはいろいろとアドバイスをもらっていますし、チームのために自分のできるかぎりのことをしたいと思っています」
 
 夢にはまだまだつづきがある。チームが優勝、日本一を目指すためにもスンチェさんのようなサポート陣の尽力が必要だ。ファンが歓喜する日に向かい、横浜一心、チームの誰もが心をひとつにして戦い抜く――。

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