阪神8人目。「他球団育ち」金本知憲新監督はどこまでやるか?
今季限りで退任した和田豊監督の後任に、金本知憲氏が新監督に就任することが発表された。一貫してOBが担う巨人の監督とは対照的に過去、阪神は他球団OBが監督を務めたケースが多い。
2015/10/19
他球団OBが優勝に導く?
他球団の人材を監督にしたことがない“純血主義”の巨人とは対照的に、阪神は80年の歴史の中で「他球団育ち」の監督をしばしば起用してきた。
監督起用が決まった金本知憲氏は、阪神では8人目の「他球団育ち」の監督だ。
前例を見ていこう(監督代行をのぞく)。
◆藤本定義(1961~68年)8期 1001試合527勝448敗26分 勝率.541 優勝2回3位以上7回
ライバル巨人軍の草創期の大監督を起用。金星、大映、阪急の監督も歴任。就任時57歳。巨人監督時代に新人選手だった巨人の川上哲治監督を「おい、テツ!」と呼びつけるなど迫力十分。新人だった江夏豊には「おじいちゃん」と慕われた。2度の優勝は藤本だけ。V9時代の巨人のライバルとして阪神の戦力強化に努めた。
◆杉下茂(1966年)1期 76試合34勝50敗2分 勝率.405 (シーズン途中辞任)
これもライバル、中日ドラゴンズの大エース。1965年に藤本定義が辞任し、阪神の投手コーチだった杉下が監督に就任するが、成績不振のため8月12日に辞任。藤本が監督に復帰した。
◆ドン・ブラッシンゲーム(ブレイザー)(1979~80年)2期 156試合74勝73敗10分 勝率.507 3位以上0回
カイザー田中以来2人目の外国人監督。南海ホークスの選手、コーチとして野村克也監督を支えた理論家だった。阪神では「シンキング・ベースボール」をキャッチフレーズにし、一定の功績はあったが、2年目に大型新人岡田彰布の起用をめぐってフロントと対立し、シーズン途中に辞任した。
◆中西太(1980~1981年)2期 234試合109勝112敗4分 勝率.491 3位以上1回
西鉄ライオンズ全盛期の大打者。阪神のヘッド兼打撃コーチだったが、ブラッシンゲームが退任した後、監督に昇格。翌年、8月にエース江本孟紀の「ベンチがあほやから野球がでけへん」発言が飛び出し、チームは3位になったものの辞任。