注目はドラフト1位のみあらず。下位指名や育成枠から這い上がった選手達
22日ドラフト会議が行われるが、注目はドラフト1位選手だけではない。過去のプロ野球史を紐解くと、下位指名やドラフト外入団、育成枠から成功を収めた選手は多数いる。
2015/10/22
いよいよ本日、プロ野球ドラフト会議が開催される。
注目はなんといっても、各球団のドラフト1位に集まる。1年で12人しか選ばれないアマチュア野球の「トップ・プロスペクト」だ。
ドラフト1位に比べれば、下位指名の選手の注目度は大きく異なる。ましてや「育成枠」の選手とは天と地ほどの差がある。
しかしそれは入団会見までの話。入団してしまえば、あとは実力がモノをいう世界だ。
下位指名でも、指名当時は無名でも、球史に残る名選手はたくさん出ている。
ドラフト10位指名で、タイトルホルダー、1000本安打を記録した選手
ドラフト制度はたびたびルールが変わっている。そもそも10人も指名できない年も多かったが、10位以下でも活躍した選手はいる。
・1967年巨人 10位 関本四十四 投手 糸魚川商工 通算27勝41敗1セーブ 新人王(巨人→太平洋→大洋)
・1967年ロッテ 10位 吉岡悟 外野手 富山商 通算314安打12本塁打89打点 首位打者1回(ロッテ→太平洋、クラウン、西武→日本ハム)
・2001年オリックス 10位 後藤光尊 内野手 法政大 通算1232安打93本塁打466打点 (オリックス→楽天)
楽天の現役内野手・後藤も入団当初はドラフト10巡目。その後、オリックスで主力選手へ成長し、中軸を担う選手として活躍した。楽天と含めても、通算1000本以上の安打を積み上げている。
10位とまでいかなくても、その年の最下位指名で入団してスターになった選手は枚挙にいとまがない。
例えば、ソフトバンクの工藤公康監督は1981年の西武6位指名、ロッテのベテラン福浦和也は1993年のロッテ7位指名、今季の打点王・ヤクルトの畠山和洋も2000年の5位指名。いずれも最後に名前を呼ばれた選手だった。