かつての日本人最速投手は背番号121に。岡林、伊藤智も這い上がってきた道、復活を目指す由規
かつて日本人最速投手だった由規。来季、育成選手から再起を図る。
2015/11/16
プロ4年目に訪れた悪夢
右肩手術からの復活を目指すヤクルト・由規が、来季は育成選手として再起を図る。
背番号は「121」。かつての11番から背中はズシリと重くなったが、球団は当面の間11番を空き番にし、支配下選手への道を開いて待つ方針だという。
今季2012年以来、3年振りの一軍キャンプ(沖縄・浦添)に帯同した由規。浦添市民球場で行われたチーム初のオープン戦(対日本ハム)では“開幕投手”に任命された。
浦添市民球場は、プロへの第一歩を踏み出した場所でもある。2008年のキャンプ中に行われた楽天との練習試合で最速154キロの衝撃デビューを果たし、将来の活躍を予感させる鮮烈な投球を披露した。
由規にとって縁起のいい場所。2回を投げて1安打無失点。ストレートは最速151キロを計測し、沖縄のファンから大きな歓声を浴びた。
4年振りの一軍登板は近いと思われていたが、結局一軍のマウンドを踏むことは叶わず、シーズンを終えることになる。
由規が一軍で活躍できたのは実質4年。プロ入り後の4年間の成績は以下の通りだ。
2008年 6試合 2勝1敗 防御率4.55
2009年 22試合 5勝10敗 防御率3.50
2010年 25試合 12勝9敗 防御率3.60
2011年 15試合 7勝6敗 防御率2.86
2010年には12勝を挙げ、初の2ケタ勝利を達成。しかし、翌年の2011年9月に右肩の痛みを訴えチームを離脱。右肩腱板損傷と診断された。2013年4月にクリーニング手術を受け今季を含め4シーズン(2012~2015年)一軍登板がない状態が続いている。
それでも、日本ハム・大谷が162キロを計測する前、“日本人最速男”として球界の顔となった。右肩の怪我さえなければ、侍ジャパンのエースとして君臨していたかもしれない。4年目に訪れた悪夢により、由規の野球人生は大きく狂ってしまった。