かつての日本人最速投手は背番号121に。岡林、伊藤智も這い上がってきた道、復活を目指す由規
かつて日本人最速投手だった由規。来季、育成選手から再起を図る。
2015/11/16
日本シリーズ3完投の岡林。右肩痛に耐えチームのために戦い続けた
投手生命を脅かす肩の痛み。ヤクルトでは過去に、岡林洋一や伊藤智仁が同じ右肩の痛みに苦しんだ。
岡林は1990年のドラフト会議でヤクルトから1位指名を受け入団。1991年のルーキーイヤーから中継ぎ・抑えとして12勝6敗12セーブの成績を挙げた。
翌年の1992年は先発に転向。15勝10敗と活躍し、チームを14年振りのリーグ優勝へ導く。終盤の優勝争いでは抑えとしてもマウンドに上がり、197イニングを投げた。
また、西武と対戦した日本シリーズでは3試合(第1戦、第4戦、第7戦)に先発し、すべて完投とチームを支え続けた。
◆1992年、岡林の日本シリーズの成績
第1戦 12回 161球 10安打 3失点 3奪三振 勝利投手
第4戦 8回 109球 4安打 1失点 9奪三振 敗戦投手
第7戦 10回 160球 8安打 2失点 10奪三振 敗戦投手
1992年の日本シリーズで岡林が投げた球数は合計430球(2試合が延長戦で合計30回)。防御率1.50と好投しながら1勝2敗でシリーズを終え、チームも3勝4敗で日本一を逃した。分業制の現代野球では考えられない投球数を投げ込み、岡林の右肩への疲労は増していった。
翌年の93年は右肩に痛みを抱えた影響から、17試合で5勝と不本意な成績に終わる。94年に復活を遂げ11勝を挙げるが、度重なる右肩痛により手術に踏み切る。
長期離脱は10年間の現役生活で3度。その度に這い上がってきたが、入団1、2年目のような成績を残すことはできずに2000年に引退。しかし、マウンドで踊るように奮闘する岡林の姿は、ファンの脳裏に今でも焼き付いているはずだ。