『消えた』ヤクルトのドラ1四兄弟。残された村中恭兵と由規に託された使命【新・燕軍戦記#18】
かつては東京ヤクルトスワローズで「ドラ1四兄弟」と呼ばれた4人の投手が今年、一軍の舞台から完全に姿を消した……。そして、オフには2人が現役を引退。残された2人も今、崖っぷちに立たされている。
2015/11/28
崖っぷちに立たされた『長男』村中と『三男』由規
「増渕と赤川はユニフォームを脱いでしまいましたけど、僕も今年はけっこうヤバい状態だったんで……」
2010、12年と2ケタ勝利を2度挙げた実績を持つ村中にとって、今年は受難のシーズンだった。開幕ローテーション入りも期待されながら、前述のとおり一軍登板はゼロ。二軍でも14試合の登板で2勝2敗、防御率8.33という、およそ考えられないような成績に終わった。
歯車が狂い始めたのは、ここで結果を出せば開幕ローテ入りは当確と見られていた3月26日のイースタンリーグ、横浜DeNA戦(ベイスターズ球場)。先頭の右バッターに対し、外角に投げたはずの球が背中に当たるデッドボールとなり、そこから「打者に当ててしまうのではないか」という恐怖心から逃れられなくなった。結局、この試合は4回途中までに8四死球を与え、6本の長短打を浴びて11失点。その後も制球は定まらず、投げるたびに四球を連発した。
「その兆候が出てからは、ずっとどうすればいいかわかんないような状態が続いて……。精神的にかなり参っていたというかトラウマになりかけてたんで、それを拭うのは簡単なもんじゃなかったです」
ようやく光明が見えたのは、シーズンも終盤になってからのことだった。9月はファームで4試合に登板し、計6イニングで与えた四死球は2つだけ。そこからは「フェニックス(リーグ)、秋季キャンプとかなりいい形で投げられた」と、復活の手ごたえをつかんだ。
「今年はダメでしたけど、来年やらないとホントにダメなんで。チャンスは少ないと思いますけど、一軍のマウンドに立てれば抑えられる自信はあります」
控えめな村中にしては珍しく強気な言葉は、来シーズンにかける思いの表れだ。
来年にかける思いは『三男』の由規も同じだ。今年は3年ぶりに浦添の一軍キャンプに帯同し、オープン戦初戦で最速151キロをマーク。しかし、現実は厳しかった。4月28日のイースタン、千葉ロッテ戦(QVCマリン)で5回を無失点に抑えたのを最後に、右肩の張りで戦線を離脱。8月下旬に実戦復帰したものの、今年も一軍のマウンドは遠かった。
「一番悔しいシーズンですね。(一軍で)投げられるんじゃないかっていう期待もあったし、途中までは良かったんで……。やっぱり投げたかったです」
このオフには支配下登録から外れ、育成選手として契約。背番号もこれまでの「11」から「121」に変わる。まずはファームで結果を残し、再び支配下に復帰しないことには、一軍への道はない。
「そこは支配下(登録)イコール一軍の戦力になるということだと思うんで。とにかく投げないことには始まらないですから」
今年の6月には右ヒジ手術からカムバックした館山昌平の復帰登板を、スタンドから見届けた。814日ぶりに神宮のマウンドに上がった先輩の姿に、自分自身を重ね合わせた。それを現実のものとするチャンスも来年が最後──そんな強い決意で新たなシーズンに臨む。
「正直、(増渕、赤川が)辞めてしまったっていうのはすごい寂しいですけど、あとは由規と僕でなんとか1年でも長くやりたいとは思います」(村中)
若くしてユニフォームを脱いだ『兄弟』のため、そして「ドラ1四兄弟」の名をファンの記憶から消さないためにも、1年でも長くプレーを続けるのは村中と由規に託された使命。そのためにも、来年は何が何でも一軍の舞台に返り咲くしかない。