星秀和(元埼玉西武ライオンズ)――いざ、トライアウトへ。燃え尽きるまで野球を続けたい!【中島大輔 One~この1人をクローズアップ】
ある試合の象徴的なワンシーンを切り抜き、その場面の選手の心理や想いを取り上げる連載企画。10月以降はシーズンオフということもあり、試合のワンシーンではなく1人の選手をクローズアップしていく。今週と来週は特別編をお送りする。筆者は10月に独立リーグ日本一を懸けた群馬ダイヤモンドペガサス対徳島インディゴソックスの試合を取材。そこで懐かしい一人の元プロ野球選手に再会した。
2014/10/28
Daisuke Nakajima
ヒジの痛みがありながらプレーした2012年。その反動が翌年に……
2014年10月11日、独立リーグ日本一を懸けた群馬ダイヤモンドペガサス対徳島インディゴソックスのグランドチャンピオンシップ第3戦に、ひとりの元プロ野球選手が出場していた。
埼玉西武ライオンズに入団して8年目の12年、4代目ミスタータイガースこと掛布雅之と酷似した打撃フォームで話題を呼んだ星秀和だ。
群馬が3点を奪った初回、無死2、3塁で打席が回ってくると、星の〝異変〟に気づいた。背中を丸め、テイクバックをゆったりと取るフォームは変わっていないものの、バットを握る手にバッティンググローブがはめられていたのだ。
西武で自身最多の71試合に出場した12年、本家の掛布と同じく、星は素手でバットを持つことが注目されていた。
「手首のほうが、きついですね。手首も手術したので」
華やかな姿にスポットライトを当てられるプロ野球選手だが、内実は過酷だ。キャリアハイの成績を残した12年、星は右ヒジに痛みを抱えていた。前年の春季キャンプで、靭帯を切っていたのだ。医師から「手術適応」の診断を受けたが、星は保存療法を選択する。
「1軍で全然実績がなかったので、手術して試合に出られなくなったら、クビじゃないかと思ったんです」
注射を打ちながらバットを振り続けた成果は、12年の成績として結実した。
だが、「痛い」と口にできずにだましだましでやってきた代償を、翌年払わされる。
右ヒジに激痛が走り、ボールを投げられないほどになってしまったのだ。
結局13年は12試合の出場にとどまり、ヒットを1本も打つことはできなかった。
5月22日の広島戦を最後に1軍から声はかからず、ようやく手術の覚悟を固めた矢先の10月2日、戦力外通告――。
「将来野球をするにせよ、しないにせよ、神経障害みたいになって手が痺れてきちゃうから、手術しなきゃいけない、と。戦力外を発表されたとき、球団に『病院の段取りをしてください。あとは自分でやりますから』と言って、1週間後くらいに手術を受けました」
当然、費用は星の負担だ。右ヒジをギブスで固めたまま、荒廃的な生活を送った。
昼からパチンコに出掛け、夜になったら友人、知人と飲みに繰り出す。都心の闇が明けると、再びパチンコ台に腰を下ろした。
「まあまあ、ここで野球人生が終わっても、ほかにやることもいろいろあるし、やりたいこともいろいろあるし、いいのかなって」