初の人的補償からFA移籍となった脇谷。明暗分かれる過去20人の人的補償選手たち
脇谷亮太は人的補償で移籍し、再度FA宣言で移籍を果たした初のケースだ。過去に人的補償で移籍した選手は20人存在する。
2015/12/03
新天地で活躍の場を見出した福地、一岡ら
2005年の江藤智、2006年の工藤公康のような大選手が人的補償で移籍することもあった。彼らベテランの成績は芳しくなく、キャリアを終えた選手も多い。移籍先で活躍したのは中堅、若手だ。
2007年の福地寿樹は西武からヤクルトに移籍後、トップバッターに定着。2年連続盗塁王に輝いた。同年の赤松真人は阪神では同じタイプの赤星憲広の陰に隠れていたが、広島では走りのスペシャリストとして貴重な戦力となった。
2013年の一岡竜司も層の厚い巨人投手陣では活躍の機会が少なかったが、広島ではセットアッパーとして頭角を現した。
脇谷は巨人でも名の知れた内野手だったが、西武では一、二、三塁のほか外野も守り、打順も2年間で4番を除くすべての打順でスタメン出場するなど、ユーティリティプレーヤーとして存在感を見せた。
2年間の打率は.286。代わりにFAで西武から巨人に移った片岡治大が、レギュラーの座を保障されながら2年通算で.248に終わったのとは対照的だ。
人的補償での移籍は、出場機会の少なかった選手にはチャンスでもある。今年は今江がFAをしたため、楽天がプロテクトリストを提出することになる。果たして、ロッテはそのリストから漏れた選手を獲得することになるのか、注目される。