有言実行でつかんだ甲子園切符とプロ入り【“中田翔を倒した男”植松優友#3】
背番号「51」。世間的にはスーパースター、イチローの代名詞でもあるこのナンバーを背負った男が、この秋、ひっそりとユニフォームを脱いだ。元千葉ロッテマリーンズ、植松優友26歳。かつて“中田翔を倒した男”と騒がれ、プロでは未勝利に終わった未完のナックルボーラーが、その野球人生をいま振りかえる――。
2015/12/07
一度は野球を辞めようと思った時期も
もともと地肩は強かったが、コントロールはからっきし。ぜんぶで130人近くの野球部員。新入生だけでも6?70人、ピッチャーだけで30人はいたという大所帯のなかには、その程度の選手はゴロゴロいた。だが、特待生でもなんでもない一般入学のヒラ部員にすぎなかった彼は、並みいるライバルたちを押しのけ、そこから華麗に這いあがる。
「なんとかして目立たなあかんと思って、あるとき、キャッチャーのことを無視して、ボールを思いっきりブン投げたことがあったんです。それこそグラウンドに張られたネットを越すぐらいの大暴投。でも、結果的にそれがコーチの目に止まって、『投げてみろ』ってことになってね。で、実際に投げたら、その時点で135km/hが出た。それをきっかけに『これは使えるんちゃうか?』ってことで、一目を置いてもらえるようになったんです」
ただ、そんな“下克上”の直後には思わぬ逆境も待っていた。両親の離婚によって転居することになった彼は、経済的な事情からやむなく学校を退学。ようやく『楽しい』と思えるようになってきた野球を一時はあきらめ、母の故郷でペンキ職人の見習いをしていたという。
「『あぁ、またやりたいなぁ』と思いながら、ずっと壁当てはしてたんですけどね(笑)。で、そうこうしてたら、僕の連絡先をわざわざ調べてコーチが電話をくれて、『なんとかしたるから、帰ってこい』と言ってくれた。ただ、当時は片親になったばかりで家も大変なときやったから、僕のわがままでなんとかなるような問題でもなくてね。親戚をまわって、『甲子園行って、プロになるんで、帰らせてください』って頭下げて、それでやっと戻れることになったんです。もちろん、そのときは『この子は、なにをいきなりアホみたいなこと言うて』って感じでしたけどね(笑)」
戻るからには、プロを目指す──。シンプルかつ明確な目標ができた彼は、目の色を変えて野球に没頭。上級生との温度差を感じとれば、すぐさま想いを同じくする仲間とともに、監督に対して「このままじゃ勝てない。一緒に練習したくない」と直談判も行った。
進むべき道は、自分の名前を売るための最短コース。そのことを真剣に考えれば考えるほど、彼のなかでは、すでに同世代の頂点に君臨していた“怪物”の存在が大きくなっていった。
※4回目の更新は8日予定です。
第1回目の原稿はこちら→QVCマリンには「魔物が棲んでいた」【“中田翔を倒した男”植松優友#1】
第2回目の原稿はこちら→トライアウトを受けなかった理由【“中田翔を倒した男”植松優友#2】