未完に終わったナックルボーラーのこれから【“中田翔を倒した男”植松優友#4】
背番号「51」。世間的にはスーパースター、イチローの代名詞でもあるこのナンバーを背負った男が、この秋、ひっそりとユニフォームを脱いだ。元千葉ロッテマリーンズ、植松優友26歳。かつて“中田翔を倒した男”と騒がれ、プロでは未勝利に終わった未完のナックルボーラーが、その野球人生をいま振りかえる――。
2015/12/10
ナックル解禁を思いとどまった理由
ところで、彼のことを知っている読者なら、誰もが疑問に思うことがある。つけ焼き刃ではない、プロでも十分通用する“魔球”ナックルを持ちながら、8年目の今季まで封印し続けたのは果たしてなぜか。その答えを、植松本人はこう説明してくれた。
「ひと言で言うと、『基本もロクにできてないくせに、遊びで投げてる』と思われるのがイヤやったんです。実際、昔からキャッチボールとかでは投げてたし、高2の秋の大会では中田に対して使ったこともある。プロに入ってからも、『絶対使ったほうがいい』って言ってくれる同期や先輩は、わりといたんですけどね。でも、ちょうど同期の育成やった子で『使えます』っていうのがいて、その子に対する周囲の反応があんまり芳しくなくてね(笑)。白い眼で見られるのがイヤで、なかなかよう使いきれんかったっていうのが正直なところなんですよ」
開きなおるには、あまりに遅すぎたプロ8年目。高校時代にみせた“大暴投”のような、怖いもの知らずの“目立とう精神”がもっと早い段階で発揮できていれば、あるいは違った未来も待っていただろう。だが、その選択をしなかったのも自分自身。むろん、そこには悔いもない。
「他の球団やったら間違いなく、とっくにクビになってましたからね。8年もおらしてくれたマリーンズには心から感謝しています。ホンマは、僕も片親やから同い年の益田(直也)がやってるみたいな母子家庭の支援なんかもやっていきたかったんですけどね。プロではそれに見合う活躍ができなかったぶん、似たような環境にいる子らの手助けになるようなことも、今後はなにかしらやっていきたい。とりあえずは、僕をプロに引っぱってくれたスカウトの方への恩返しの意味もこめて、まずは球団のために尽くすところから始めたいと思います」
このほど球団から発表されたとおり、彼自身は来季から打撃投手、裏方のひとりとして、引き続きマリーンズを支えることになる。
背番号「51」は、すでに自動車教習所教官という異色の経歴でも話題のドラフト6位、信楽晃史へと受け継がれ、年が明ければ、また新たなシーズンも幕を開ける。まだ26歳。現役生活を終えた植松優友の“第2の野球人生”は、いま始まったばかりだ――。
第1回目の原稿はこちら→QVCマリンには「魔物が棲んでいた」【“中田翔を倒した男”植松優友#1】
第2回目の原稿はこちら→トライアウトを受けなかった理由【“中田翔を倒した男”植松優友#2】
第3回目の原稿はこちら→有言実行でつかんだ甲子園切符とプロ入り【“中田翔を倒した男”植松優友#3】