キャッチャーから球界屈指の剛腕へ…元捕手から投手転向で大成した5人
2023/01/31
産経新聞社
稲尾和久
出身:大分県
投打:右投右打
身長/体重:180cm/80kg
生年月日:1937年6月10日
ドラフト:-
西鉄ライオンズの黄金期を支えた大投手が、稲尾和久である。実は稲尾も捕手から投手に転向した選手の1人だ。
大分県の中部中学校、緑丘高校では捕手を務めていた稲尾。ただ、高校1年生の段階で監督から「投球力テスト」の実施を命じられ、もっとも球威があった稲尾は投手に転向することとなったと言われている。
分業制が当たり前になっている現在、稲尾が打ち立てた記録を改めて振り返ると、今では考えられない記録が多数ある。1956〜1969年の実働14年間で収めた勝利数は、276。1年目に21勝、2年目に35勝、そして6年目には42勝。また、通算756試合の登板で防御率は1.98で、まさに「剛腕」という存在だった。勝利数や防御率はもちろんだが、4年目に記録した投球回402.1も恐ろしい記録だ。
1958年の日本シリーズでは最高殊勲選手に輝き「神様、仏様、稲尾様」という言葉が生まれた。この言葉は、稲尾の現役を知らない人でもよく耳にする言葉だろう。1964年には肩を故障してわずか6試合の登板に終わったが、翌年はまた38試合に登板するなど、凄まじい回復力を見せたことも特徴的な選手だった。