「あのときから片りんあった」――新ミスター・スワローズ誕生! 青木から山田に直接継承された背番号1【新・燕軍戦記#19】
背番号1──。東京ヤクルトスワローズにとって、それは特別な意味を持つ。若松勉を皮切りに池山隆寛、岩村明憲、青木宣親と、歴代の『ミスター・スワローズ』が継承してきた背番号だからだ。青木のメジャー移籍以来、空席となっていたその栄光の1番を受け継ぐ選手が、ついに現れた。
2015/12/09
菊田康彦
「めっちゃビックリ」まさかのサプライズ
山田哲人いわく『過去最大のサプライズ』──。
それは来シーズンの年俸が、今季の8000万円から2億2000万円(推定)に大幅アップしたことではない。サプライズは契約更改を済ませ、記者会見を終えた後に待っていた。
「お願いしまーす!」
広報部長の声に促され、会見場の扉の向こうから姿を現したのはチームのOBであり、先ごろシアトル・マリナーズへの移籍が決まったばかりのメジャー・リーガー、青木宣親。かつて背番号1で活躍したヤクルトの偉大な先輩が、その背番号を来シーズンから受け継ぐ山田にユニフォームを授与するため、はせ参じたのだ。
「めっちゃビックリなんですけど、青木さん」
思いもよらぬ先輩の登場に驚きを隠せない山田に対し、サプライズ成功でしてやったりの表情の青木。その青木にしても、1番を背負うことが決まった2009年オフには、ヤクルトで18年の長きにわたってこの背番号を着けた若松勉から、直々にユニフォームを手渡されている。1番という背番号は、ヤクルトにとってそれだけ特別な意味があるということだ。
背番号1=ミスター・スワローズ──。そう認識されるようになったのは、プロ2年目の1972年からこの番号を背負った若松が、ミスターと呼ばれるにふさわしい実績を残したからだ。若松は初めて背番号1でプレーした72年、球団史上初の首位打者を獲得。77年に2度目の首位打者に輝くと、チームが初のリーグ優勝&日本一を成し遂げた78年にはMVPに選ばれ、85年には名球会入りも果たした。
その若松が1989年に現役を引退すると、池山隆寛(1992~99年、現東北楽天打撃コーチ)、岩村明憲(2001~06年、現BCリーグ福島選手兼任監督)、そして青木(10~11年)がこれを継承。池山は背番号を1に変えた92年に初めてリーグ優勝の美酒を味わい、この背番号で4度のリーグ優勝、3度の日本一を経験した。
岩村も初めて1番を着けた2001年にリーグ優勝、日本一に貢献すると、04年には44本塁打の球団タイ記録(当時)を樹立。青木も背番号1を継承した10年にNPB史上初となる2度目のシーズン200安打を達成し、球団新記録の打率.3584で3度目の首位打者を手にするなど、それぞれがこの背番号で大きな足跡を残した。