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「最も印象に残る試合」から振り返るヤクルト小川監督の5シーズン

野村克也628勝、若松勉496勝、そして小川淳司314勝──。前身の国鉄、サンケイ、アトムズ時代を含め、ヤクルトの歴代監督の中でも3位の勝利数を残しながら、2年連続最下位の責任を取って、今シーズン限りでグラウンドを去った小川監督。選手たちから慕われ、ファンからも愛された指揮官が、自ら挙げた「最も印象に残る試合」の思い出を辿るとともに、監督代行時代からの5シーズンに渡る軌跡をここに振り返る。

2014/10/29

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9連敗、借金19の最下位で迎えた〝初陣〟

「高田(繁)さんの後を受けて(監督)代行になったその日、交流戦の楽天との試合はすごく覚えてますね」
 
 今シーズン限りでの退任を発表してから1週間あまり。残り試合もあとわずかとなったところで、代行時代から足掛け5年に及ぶ監督生活で最も印象に残る試合を問われたヤクルトの小川淳司監督は、記憶を辿りながらそう答えた。
 
 その試合──2010年5月27日に神宮球場で行われたヤクルト対楽天戦は、筆者にとっても実に思い出深いものだ。筆者はその年の3月半ばからヤクルトを取材をするようになったばかり。
 
 それから2カ月あまりで、成績不振の責任を取って高田監督が休養。小川ヘッドコーチが監督代行として後を継いだものの、これからどうなってしまうのだろうというのが、正直な思いだった。
 
 交流戦突入からその前日まで、ヤクルトは9連敗。借金は19まで膨らみ、首位から15ゲーム差の最下位に沈んでいた。その日も一度は逆転しながら9回に追いつかれ、延長12回の末に引き分け。
 
 それでも初陣の小川監督代行は「正直、勝てなかったという思いのほうが強いけど、チーム状況を考えると負けなくてよかったかな」と、試合を振り返った。ところが──。
 
「今日はすみませんでした、僕のミスで……」
 家路に就こうとクラブハウスから出てきた小川監督代行が、集まってきた取材陣を見てそう言うなり、頭を下げたのだ。
 
「僕のミス」とは、9回表の守りのことだった。1点リードの1死二塁から、故障の林昌勇に代わって9回のマウンドを託されていた松岡健一が、聖澤諒にセンター前へポトリと落とされて追いつかれた場面。
 
 会見でも「2死になったら外野を前にとは考えていたんだけど……。(2ストライクと)追い込んだ後で前にすることもできたかな」と悔やんでみせたのだが、それを改めて「僕のミス」と言い切ったのだ。
 
 その潔さ、そしてそれをメディアに詫びる姿勢には驚かされた。
 
 だが、本当に驚かされたのはそれからだった。続く京セラドームでのオリックス戦で連敗を9で止めると、小川監督代行率いる新生スワローズは驚異的な巻き返しを見せる。
 
 あれだけあった借金を8月24日には完済し、最後は4つの貯金を作ってみせたのだ。小川監督代行就任後の勝率.621は、このシーズン指揮を取った他球団のどの監督をもしのぐものだった。

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