「最も印象に残る試合」から振り返るヤクルト小川監督の5シーズン
野村克也628勝、若松勉496勝、そして小川淳司314勝──。前身の国鉄、サンケイ、アトムズ時代を含め、ヤクルトの歴代監督の中でも3位の勝利数を残しながら、2年連続最下位の責任を取って、今シーズン限りでグラウンドを去った小川監督。選手たちから慕われ、ファンからも愛された指揮官が、自ら挙げた「最も印象に残る試合」の思い出を辿るとともに、監督代行時代からの5シーズンに渡る軌跡をここに振り返る。
2014/10/29
「負けなかったっていう事実が非常に大きかった」
あれから4年が経ち、指揮官として残された最後の日々の中で、小川監督は当時をこう振り返った。
「あそこ(代行初戦)で勝てなかったですけど、負けなかったっていう事実が非常に大きかったと思います。あそこで(高田前監督と合せて)10連敗になっていたら、たぶんあの後の成績はなかったと思うんですよ。そういう意味ですごく印象に残ってる試合かな」
翌2011年から「代行」が取れた小川監督は、まずは「2010年の勢いを、いかに次の年につなげていくか」に心を砕いたという。
「あの時の勢いそのままに次の年に入っていければ、優勝するんじゃないかっていう思いがすごくあったんですよ」
その狙いはズバリ当たり、2011年は序盤から首位を独走。しかし、終盤には故障者の続出もあり、最後の最後で落合博満監督率いる中日に優勝をさらわれた。
翌2012年は若きエース候補の由規や抑えの林昌勇らを故障で欠きながらも、広島との3位争いを制して2年連続クライマックスシリーズ出場を果たしたが、ファーストステージで中日に敗退。2013年は開幕投手の館山昌平、期待の雄平らの長期離脱が響き、チームは6年ぶりの最下位に転落した。
背水の陣で臨んだ今シーズンも、復活が見込まれていた館山、開幕四番のミレッジを筆頭に主力級の故障が相次ぎ、結果は2年連続の最下位。そして、自ら退任を申し入れた小川監督は「(最下位の)要因はたくさんあると思いますけど、今年に関してはすべて自分の采配というところに行き着くと思います」と、全責任を背負い込んだ。
思えば終盤の大失速で優勝を逃した2011年から今年に至るまで、故障者の連鎖は途切れることがなかった。神宮球場で行われた今季最終戦、試合後の挨拶で見せた涙の理由を「やっぱり悔しさかな」と話した小川監督。1度でいいから、シーズンを通してベストメンバーで戦わせたかった──。そう思っているのは、筆者だけではないはずだ。