「ゆくゆくは『27番』を」ヤクルト・中村悠平が追いかけ始めた大捕手の背中【2015年ブレイク選手】
実質的には正捕手1年目ながら、東京ヤクルトスワローズのリーグ優勝に大きく貢献した今シーズンの中村悠平。セリーグを代表する捕手にまで成長した彼は今、あの偉大な先輩の背中を追いかけるためのスタートラインに立った。
2015/12/20
菊田康彦
昨年から球宴出場も「レギュラーは今年が1年目」
「何ですかね……。やっぱり相川(亮二)さんが抜けて、自分がしっかりしないとこのチームはダメだって言われましたし、自分でもそう思っていたので。それを1年間ずっと(自分に)言い聞かせてきましたし、そういう気持ちの部分で成長できたんじゃないかなって思います」
正捕手としてヤクルトを優勝に導いた今シーズンの『成長』について問うと、中村悠平(25歳)からはこんな答えが返ってきた。
既に昨年からオールスターにも出場している彼を「今年ブレイクした選手」として取り上げることに、違和感を覚える向きもあるかもしれない。しかし、中村は言う。
「レギュラーとして試合に出るのは、今年が1年目だったので……」
実際には、中村は2012年からヤクルトの捕手では最多出場を続けている。それでも昨年まではベテラン、相川の存在が大きかった。
中村が福井商高からドラフト3位でヤクルトに入団した2009年、フリーエージェント(FA)で加入したのが、横浜でバリバリの正捕手だった相川である。レギュラーの座をつかむには、14歳上のその相川を越えなければならなかった。
ルーキーイヤーから一軍の舞台に立った中村は、4年目の12年には90試合(先発69試合)でマスクをかぶり、初めて相川の出場数(68試合、うち先発63試合)を超えた。だが、これは相川が試合中のケガで2度にわたって離脱したためで、クライマックスシリーズで「正捕手」として全試合にマスクをかぶったのは相川のほうだった。
翌13年は初めて開幕戦にスタメンで起用され、捕手で84試合(先発76試合)に出場。またも相川(捕手60試合、うち先発56試合)を上回ったものの、シーズン終盤には試合中の送球エラーが原因で、二軍落ちの憂き目にもあった。
今年こそ相川さんに勝つ──。そう誓った2014年シーズン、中村は捕手として自己最多の97試合(先発92試合)に出場。規定打席には届かなかったものの3割近い打率をマークし、前述のとおりオールスターにも選ばれた。それでも正捕手になったという実感はなかった。
「一番(試合に多く)出てましたけど、100試合も出てないですし、規定(打席)にも達してないので……。そういったところで、まだまだっていうふうには思ってました」