投球回数はサファテやバーネットの約2倍。板東英二は「救援投手のパイオニア」
今や9回の守護神をいかに固定できるかがペナントレースを制する一つのカギになっている。しかしかつてクローザーという明確なポジションは存在していなかった。その先駆けとなった選手は板東英二だ。
2015/12/20
イニング数が圧倒的に多い板東
板東英二と今のクローザーが大きく違うのは、投球回数だ。
今のクローザーはほぼ1イニングしか投げない。イニングまたぎは異例だ。
しかし、板東英二は2イニング以上は投げた。
2015年 バーネット(ヤクルト) 59登板 62.2回
2015年 呉 昇桓(阪神) 63登板 69.1回
2015年 サファテ(ソフトバンク) 65登板 64.2回
2015年 増井浩俊(日本ハム) 56登板 60.0回
1965年 板東英二(中日) 47登板 112回
1966年 板東英二(中日) 59登板 128回
1967年 板東英二(中日) 50登板 116.2回
「セーブ機会」という定義がなかった時代、板東はピンチになれば早い回からもマウンドに上がってロングリリーフをすることもよくあった。スタミナは抜群だったのだ。
板東は68年以後成績が下落して、69年を最後に球界を離れたが、中日は、この年に入団した新人投手に板東のリリーフエースの座を継承させる。星野仙一だ。入団から6年間は、主に救援投手として活躍した。星野は1974年にセーブ制度が導入されると初代のセーブ王(10セーブ)になっている。
翌年から星野が先発中心になると、今度は3年目の鈴木孝政をリリーフエースに抜擢。鈴木は75年から3年連続でセーブ王に輝いた。
評価が低かった救援投手というポジションで大活躍をした板東英二は、日本の「救援投手のパイオニア」と言ってもよいのではないか。