信じられない…プロ野球、大ケガから復活した名選手5人。選手生命の危機を乗り越えた大物たち
2024/03/13
産経新聞社
村田兆治
「マサカリ投法」で一世を風靡し、通算200勝を挙げた村田兆治は、右肘靱帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)の日本球界初の成功例となった。
1967年ドラフト1位で東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)へ入団。プロ2年目から台頭すると、1975年から2年連続最優秀防御率を獲得。特にフォークボールを習得した76年は21勝、202奪三振、防御率1.82と圧巻の数字を残した。
さらに、1981年には最多勝(19勝)のタイトルを戴冠。順調なキャリアを歩んでいたが、翌1982年に右肘を故障。様々な治療を試したが改善されず、一縷の望みをかけて渡米しトミー・ジョン手術を受けた。その後は約2年もの長いリハビリを強いられたが、1984年のシーズン終盤に念願の復帰登板。翌1985年は開幕11連勝を含む17勝を挙げ、カムバック賞を受賞した。引退前年の1989年には、自身3度目の最優秀防御率(2.50)を獲得。長い現役生活を送り、通算勝利数は215を数えた。
現在では主流となっているトミー・ジョン手術だが、当時の日本では有効な治療法として、認知されていなかった。村田の復活が、日本球界に大きな影響をもたらした。